行川法難記
行川法難記
なめかわほうなんき
慈恩院日憶(一六九二-一七六五)著。
享保三年(一七一八)一二月二八日記す。
日憶は字を覚教、のち可全と称した。
備前(岡山県)金川の人、享保三年の行川法難に慈念院日助と共に連座したが、長老たちの命によって自訴せず、その連絡と内信者の教導に当った。しかし、まもなく捕えられ、翌四年八丈島に遠島となり、三宅島で越年し行川法難にて流罪となった日清・日要の世話を受け、八丈島に赴いた。在島四十六年、明和二年六月一六日七十四歳にて入寂。
この享保三年の行川法難の一部始終を詳細に書きとめたのが『行川法難記』である。
「法難日記之事」とし、行川村の不受不施の布教経過から、法難に至るまでの状況並びに原因を述し、法難に至ってからは日を追って詳細に記し、またその所感等を述べ、最後にその評定結果を記し、四人の僧の流罪の様子を記しながら、不受不施の衰退を歎き、その繁栄を望み、『如説修行鈔』の一説「天下万民諸乗一仏乗と成りて(略)人法共に不老不死の理顕れん時を御覧ぜよ」を載せ、自作の一句をそえて筆を終えている。
《『宗全』二一巻》