特殊教育
特殊教育
とくしゅきょういく
身体的または精神的に普通一般的児童と異なるものに対する教育をいう。
身体的に問題のあるものとしては盲者及び弱視者、聾者及び難聴者、身体虚弱者、肢体不自由者などがあり、精神的に問題あるものとしては精神薄弱者、性格異常者ないし社会的不適応者、英才、天才などがあり、両者に関連あるものとして言語障害者などがある。
また同一人で重複して障害を持っているものもある。
わが国の特殊教育は明治五年(一八七二)学制発布の時、廃人学校の言葉があり、特殊教育が考えられていたが、実際には明治八年、京都待賢小学校で聾教育が始められた。
その後数次の学制改正において消長があり、障害児の人格が完全に認められ、教育と生活の保証が国や公共団体の責任においてなさるべきであるという理念に到達したのは昭和二二年(一九四七)学校教育法に「特殊教育」の一章が設けられ、総合的な規定がなされてからである。即ち盲学校、聾学校及び養護学校(盲聾以外の分野の特殊教育をする独立学校の総称)の系統と、小・中学校内に設けられる特殊学校の系統とが整備され、その後昭和四八年、盲・聾学校の教育が第一学年から義務制となった。
また児童福祉法(昭和二二年)により盲・聾児、精神薄弱児、肢体不自由児等の施設が整備されることになった。
特殊教育の本質は何かということについては種々の論議はあるが、それぞれの対象について最も有能であるようにする、即ち盲人教育では最も望ましい盲人とすることを目標とし、最も望ましい盲人とは何かを探求し且つその指導方法を考えることが目標とされている。盲児に対して正常児と同じ教材を、同じ方法で教えようとするなら結局所期の目的を達し得ないことになる。
特殊教育は現在においてもなお多くの問題を持っているが、障害を越えた、個人として尊重すること、人間価値観を変革すること等の条件が満たされることによって将来特殊教育は振興されるものとされている。
仏教殊に法華経の人間平等観に基づいて、宗教人のこの方面における活躍が強く期待されてよいであろう。