亀口竜謙(真行院日学)
亀口竜謙(真行院日学)
かめぐちりゅうけん
(一八七五-一九四五)
真行院日学、明治八年藤枝市に生る。
静岡市感応寺四五世日温の弟子、静岡市清水区浄蓮寺二一世、大正三年(一九一四)祖山学院に奉職、同一三年九月教頭富木堯広遷化して後任未定の間、同代理を務む。同一四年六月一〇日、感応寺四八世に晋む。
感応寺入寺式当日には、岩本、貞松、村松、池田の四貫主また武田宣明、関本竜門、冷泉要淳、落合舜長らの外身延山太田教学部長、および学院の代表参列して盛大であった。
昭和二〇年(一九四五)六月二〇日静岡市大空襲の際不幸にも爆死す。
七〇歳であった。
この時、同山の堂宇悉皆焼失す。
同師在職中、『棲神』に寄稿無く、消息も『棲神』及び『身延教報』に僅かに散見するのみである。
強度の近視で、酒を愛し辺幅を飾らず、教え子より「泥亀(どろがめ)さん」の愛称で慕われた。