日諦(観具院)
日諦(観具院)
にったい
(一六七四-一七三二) 京都妙顕寺第二八世。
字は隆察、観具院と号す。
隆源院日隆(中村檀林化主、妙覚寺三〇世、本国寺二〇世)に師事し、のち中村檀林五八世化主に任じている。
享保九年(一七二四)六月一七日修光院日精が妙顕寺を退任するに至り、鳴滝三宝寺より妙顕寺へ晋む。
当時、華厳の鳳潭、天台の霊空とともに名高く、三傑あるいは三幅対と称せられている。
享保一七年五月五日寂す。
五九歳。
また、了義院日達が享保一四年『高祖御譲状注釈』一巻を著して本国寺以外の諸門流に対し是非を論じたのに対し、『規矩準縄録』一巻をもって批判している。
他に『窓燈塵壼』一巻を著す。
《『日本仏教人名辞典』「日諦」の項》