にちえん
(-一六三七)
栴林院と号した。京都妙覚寺の首徒として、身軽法重、死身弘法の行軌を守って声望高く、佐渡塚原根本寺一二世日是の屈請によって同寺一三世を継いだ。
日蓮聖人の霊跡を董することを望外の喜びとし、大いに徳化を布いたので根本寺は栄えた。
また日衍は六子院を造って六上足を祀ったので、玉沢の日通は大本尊を図してその行徳を称え、塚原中興と称揚した。
当時、京都の妙覚寺では、根本寺の復興が日成、日典ら同寺出身者の力なるをもってその末寺たらしめんとしたが、日衍は聖人の霊蹟の故にこれを拒否した。
日衍はまた紀州蓮心寺二世で、同寺を駿府から紀州へ移した。
《『日本仏教人名辞典』「日衍」の項》