妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

日泰(心了院)

にったい #2784

日泰(心了院)

にったい

(一四三二-一五〇六) 心了院と号す。
京都妙満寺一六世。
日泰は京都白河に生まれ、妙満寺一〇世寂光院日遵に師し、長じて奈良・叡山・高野に遊学。
既に学をおえ知行兼備を称されたが、関東伝道を志し下総に下った。
長禄三年(一四五九)二八歳のとき、武蔵に下り品川本光寺にあって伝道したが、文明元年(一四六九)には下総に至り、浜野郷の廃寺を興して一宇を構え、本行寺と名ずけた。
また文明のころ、日泰が品川で布教、船で浜野に帰る途中、たまたま酒井定隆と同船したが、海が荒れて難破しようとした。
そのおり日泰は船ばたに立ち、竜神に祈って危難をまぬがれ船は無に浜野に着いた。
そこで定隆は深く日泰に帰し志を得た暁は領内ことごとく妙経に帰依せしめんことを誓ったという。
のち長享二年(一四八八)定隆が土気城主になると、浜野より日泰を招き、城中に一宇を建立して日泰を請じた。
これが本寿寺である。
そして定隆は同年五月一八日には領内すべて法華宗に改むべきことを命じ執行した。
これが世にいう上総の七里法華である。
《『日本仏人名辞典』「日泰」の項》

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