妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

日助(蓮光院)

にちじょ #2484

日助(蓮光院)

にちじょ

(一四九五-一五五三)
蓮光院と号す。
京都本寺第一四世。世花山院太政大臣藤原政長の猶子となる。
大僧都に任じて、同寺に住すること三三年、文二二年七月四日寂すといわれる。
しかし同寺所蔵の日助自筆の譲状には同月一五日付で、双樹院日勝に付法を授けており、入寂は一五日以降である。
寿は五八歳。
天文法難(一五三六)に際して、日助咒を持して灰中に十羅刹の木像を探り、細川晴元これに感じて殿を営むという。
法難後日助は堺成就寺に逃れるが、同一一年帰洛の勅許あって、洛紫野大徳寺の傍に結庵し、同一六年もとの六条堀川に本堂を再建し、八月一〇日本尊遷座式を執行し、番神堂・刹堂等を建立している。
また応仁元年(一四六七)大覚院日が越中大田に建てた法流山妙伝寺を、日助は北地の弘通処とし、その意を受けた究竟院日禎は富山・金沢にも法流山妙伝寺を創建、六条門流北地弘通処とする。
《『日本仏人名辞典』「日助」の項》

← 事典トップ