にちりょう
(一六三四-八八)
字を古閑、智照院と号す。
江戸雑司谷法明寺一五世。
寛文五年(一六六五)幕府による御朱印再交附に際し、不受不施の厳制に背くものであるとこれを辞退したので、公儀に違背するものとして同年一二月三日、讃岐丸亀の京極百助高豊にお預けとなった。
前後して同じく配流に処せられた日述・日堯・日講・日浣・日庭と共に後六聖の一人に数えられている。
配所にあること二三年、その間、不受不施派内部に日指・津寺の分裂を生じ、日了は日堯と共に日指派を支持し、日講の支持する津寺派と対立した。
遺墨に書状、堯了二師連署書状、曼荼羅等の多数が金川妙覚寺に格護されている。