きしのぼう
身延山支院(塔頭)の一坊。
宝徳二年、(一四五〇)六月一五日、聖人の御廟に給仕を念願とした久遠成院日親(通称・冠鐺(なべかむり)日親)が、身延山醍醐谷(現在の下町上方の段丘地)に庵室を構えたのをもって開創とする。
日親は上総国埴谷(千葉県山武市)の人で、室町幕府を諫言し、唱題撃鼓その足跡は全国に及び、京都本法寺・博多法性寺など三〇余ヵ寺を開創した。
当坊は明治七年(一八七四)二月一五日醍醐谷了雲坊を合併、翌八年一月一〇日身延大火のため類焼して了雲坊へ移る。
明治四二年西谷の祖廟域近くに移転したが、祖廟整備の方針に従って、昭和一四年(一九三九)五月現在地に移転した。