ほうじょうけ
江戸時代、正徳元年(一七一一)以後、一定して社寺伝奏(てんそう)として身延山久遠寺や立本寺の勅許に関する奏請を取次ぐ役を務めた公家。
藤原氏北家の勧修寺流の家系。
勧修寺定資の二男・俊実(一二九六-一三六〇)を祖とする。
その子俊冬の住所、小川坊城をその家名とした。
歴代おおむぬ権大納言に進んだ。
社寺伝奏は、室町時代に創設され、江戸幕府に引継がれ、老中職から京都所司代を通して奏請される紫衣勅許などの申達に当った。
初め一定でなかったが、正徳頃から、本圀寺・紀州報恩寺は広橋家、妙顕寺は清閑寺家、堺妙国寺は鷲尾家など、代々一定してその分担が世襲された。