非生現生・非滅現滅
非生現生・非滅現滅
ひしょうげんしょう・ひめつげんめつ
天台大師は『法華文句』九下の寿量品釈において、経文の「諸の善男子、如来諸の衆生の小法を楽へる徳薄垢重の者を見ては、是の人の為に我少くして出家し」から「仏を渇仰して便ち善根を種ゆべし。是の故に如来実に滅せずと雖も而も滅度すと言ふ」までの、実には成仏已来甚大久遠(非生)なるに、小法をねがう者には伽耶始成(現生)と示し、実には常住不滅(非滅)なるに、如来常住の思いに住して厭怠の心を抱く者には滅を示す(現滅)という如来の形益を説く経文について「現在(益物)の応化に二あり、一に非生現生、二に非滅現滅」と科文す。
仏の益物には形益と声益とがある。声益は説法による教化であるのに対して、形益とは行動による教化であり、特に現滅が最高の形益であることは、日常我々も之に類した経験を持つことができる。
また現在の宗門において形益の面が足りないことを反省する必要がある。