妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

雲崗石窟

うんこうせっくつ #5180

雲崗石窟

うんこうせっくつ

大同石窟ともいう。
北部大同市の西方十五キロ、武州川の北岸の崖に造られ、全長一キロ、そのに大小四二の石窟がある。
大同(平城といった)に都を置いた北魏の文成帝に対し、沙門統曇曜が石窟の造営を奏請したのが始まりである。 いわゆる曇曜五窟と呼ばれる第一六窟から第二〇窟までがこのに造られた石窟で、曇曜五窟とよばれる北魏和平元年(四六〇)頃から数年がかりの造営であったろう。
様式はしいていえば西域経由のガンダーラ・グプタ様式であるが、代が降るに従って中化が強くなる。
雲崗の造像は日本の飛鳥に関連をもつものと考えられている。
なお北魏の洛陽遷都太和一八年(四九四)頃を境として、雲崗の石窟の造営は終りをつげ、代って竜門石窟が開鑿される。
《『岩波教辞典』「雲崗石窟」の項、『図説仏教語大辞典』「石窟寺院」の項》

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