肉食妻帯畜髪
肉食妻帯畜髪
にくじきさいたいちくはつ
明治五年(一八七二)四月、教部省より僧侶に対し「肉食妻帯畜髪の禁」を解いた令をいう。
この令の背景には紆余曲折の時代情況があった。
即ち平田神道を中核とする明治政府の神道国教政策は失敗に終り、それを覚った政府は仏教(僧侶)を利用することによって「国民教化運動」の政策に転向した。
神仏合併大教院の設立がそれである。
大教院における仏教は神道の翼下のなかで、僧侶は鳥帽子直垂をつけて神前に二拍手一拝するという奇妙な風景を展開した。
これは徳川幕府の時代には仏教が国教的位地にあって、神道が仏教の下に置かれていたが、明治になってその地位は逆になった。しかし国民的感情のなかには、神官より僧侶を上にみる傾向があった。
一方、文明開化と欧化思想を早く国民に定着させようとして、政府は食生活の面にも西洋食・特に肉食を奨励した。
こうした社会的潮流と背景をもって「肉食妻帯畜髪ノ禁」を解いたのである。
勿論この令を歓迎する者もあれば、戒律無視として反発する者もいた。
しかし政府の意図は、この令によって高く評価されている僧侶の感情的地位を低俗下させることにあったのである。