妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

松田氏

まつだし #3566

松田氏

まつだし

大覚の化は近畿・山陽に及び、とくに備前・備中方面に大きなの実をあげた。
備前守護代松田氏の入信については、大覚が備前津島で法陣を張っていた時、付近の真言宗福輪寺良遊と問答して論伏させたので、一山の宗徒と共に改宗した。
これを聞いて矢坂(津島の近く、岡山市矢坂)富山城主松田元喬は真言の碩学を集め大覚と城中で問答させたのであるが、ことごとく論破され、みな改衣するに至った。
そこで元喬、その父元、また元喬の子元泰も共々に大覚に帰依し、福輪寺を修復し妙善寺と改め、道林、妙国、蓮昌寺等を創建して、後世のいわゆる「備前法華」の基礎が確立された。
暦応年(一三三八-四一)京都が飢謹にみまわれ、餓死する人も多く、妙顕寺は寺運中絶の危に瀕した。
松田氏は、大覚の要請に応じて相当の供養料・灯油料を送り、日像を扶持していたことが『龍華秘書』によって知られる。
備前法華の発展は、松田氏の強力な保護政策によって線を拡大し得たのである。

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