日饒(観照院)
日饒(観照院)
にちにょう
(-一五六一)
京都本山妙覚寺の一七世。
戦国大名で美濃国(岐阜県)の領主であった斎藤道三(一四九四ー一五五六)の第二子。
父道三を殺した斎藤義龍の弟で、岐阜常在寺日覚の兄。
観照院と号す。
斎藤道三が自らの菩提のため、二人の子を岐阜常在寺の日運の門に投じて出家させた。
二人は父に似ず、怜利で学を好み、志も高尚で、日運の教育によって大成した。
常在寺の住職から京都の本山妙覚寺に瑞世した。
兄義龍が父の道三を逐い、法華を禅宗に改めたのち、白癩病となり、妹壻織田信長に攻められたとき、「我、宗を改め父を逐う。家運亡び、要疾を発す。現罸なるか」と書を寄せられたという。
永禄四年遷化した。
《『日本仏教人名辞典』「日饒」の項》