妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

日護(本是院)

にちご #3077

日護(本是院)

にちご

(一四三六-一五三二)
本是院と号し、京都妙覚寺一〇世日の室に入り早くより頭角を現した。
さきに美濃の岐阜城主斎藤利藤は同地に常在寺を建て、妙覚寺より日範を請じて開山としたが、日範が逝き、そのあとを日審が継いだが、これもまた日ならずして入寂したので日護がこれに赴き住した。
数年にして日護は妙覚寺一五世に請ぜられたので、弟子日運をして寺主たらしめた。日運は利藤の子、日護に従って器許せられた人物である。
日護の門人に大泉房日成なる者あり、諸を遊歴していたが佐渡に渡って塚原の旧跡が今なお広野に埋没しているのをなげき、在地の諸人をすすめ一字を創した。これが塚原根本寺の濫觴である。
日護は文元年九月五日、九七歳をもって入寂した。
《『日本仏人名辞典』「日護」の項》

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