一円講
一円講
いちえんこう
昭和三二年(一九五七)に身延山久遠寺第八五世法主増田日遠が祖廟整備の財源を獲得するために身延山内に設立した。
正式には「御廟整備身延山一円講」という。
一日に一円を積立て祖廟整備のために志納することをめざした運動。
駿河銀行が戦後の復興資金として一円貯金をよびかけたことに着眼したといわれ、増田日遠が法主の座にあった時期に積極的な浄財勧募がすすめられ寄金は五、六年の間に一〇〇〇万円にのぼったとされている。
一円講設立の背景には身延山久遠寺が永年にわたって懸案としてきた祖廟ならびに山内寺域整備事業の推進という課題が存在し、大正一〇年(一九二一)の御廟釐整会(りせいかい)の設立、昭和八年の祖廟備整会の設置、翌年の祖廟奉仕会の組織化など歴代法主を中心に祖廟寺域諸施設の整備に取組まれてきたが、その完成を見るに至らぬまま戦後を迎えた。
戦後の昭和二四年久遠寺総務となった増田宣輪(日遠)は従来の会・講社を超えて身延山と信徒とが直結する方針を打出して信徒の直結化・組織化を図り「身延会」を設立、同三一年には「篤信会」を結成し、報恩の修行を促進すると同時に祖廟整備を推進するための勧募をよびかけた。
次いで祖廟整備と御真骨還元を企図し、「祖廟整備の国民運動を展開する為、一日一円積立て運動」を提唱し、祖廟整備の財源確保と信徒吸収・組織化をめざし、信徒を久遠寺に結びつける役割を果した。
一円講運動は今日なお公式的には消滅したわけではなく、その規模は縮小されているものの現行「山規」でも庶務部所管のもとに存続している。