日純(精進房)
日純(精進房)
にちじゅん
(-一四二四)
精進房と号し、のち日道と改める。
越中国射水郡浅井郷の出身と伝えられ、日存は俗兄で共に妙顕寺日霽の門に入った。
応永一二年(一四〇五)日霽が遷化し、年少の月明が後職を継いだが、日純、日存、日隆、仏性院日慶らは、極めて摂受的な寺風の改革を主張し、妙本寺を退出した。
しかし応永二一年日純、日存は山徒の妙本寺破却によって、月明が遠離於塔寺の難にあったと、改悔の起請文を入れ、月明の下へ帰った。
応永二五年依然その態度を改めぬ月明と再び分れ、日存、日隆と独自の行動をとるに至った。
日純は応永三一年二月、四二歳で示寂した。
尼崎本興寺の開基とされる。
日隆は「この法門は日存日道師弟より日隆相承申す法門なり」(『弘経抄』)といい、日隆の教学が日存、日道の思想を襲用し、その上に成立したものであるという。
《日潮『本化別頭仏祖統記』、『日蓮教団全史』上巻、執行海秀『日蓮宗教学史』》