日深(妙寂院)
日深(妙寂院)
にちじん
(一五七三-一六二七)
諱は日深、妙寂院と号す。
寂照日乾の門に投じ京都六条檀林に修学積年、心性院日遠の嘱をうけて京都本満寺一五世に晋み、六条檀林化主となり、また箱根山本迹寺を開創す。
身延第二四世顕是日要の遺言に則り、元和九年(一六二三)第二五世の猊座に登る。
在職五年、聖人真骨宝塔を造立す。
偶、寛永二年(一六二五)芝増上寺に徳川秀忠夫人浅井氏の葬儀を営めるとき、徳川氏からの供施をめぐって、池上一六世長遠院日樹は「不受」の立場を固辞し、身延の日深は「受」の立場を取ったことから、宗門史上、「寛永の身池対論」と呼ばれる事件の発端をなした。
寛永四年一二月二八日寂。
寿五四歳。
《『日本仏教人名辞典』「日深」の項》