日念(安住院)
日念(安住院)
にちねん
(一六五六-一七三二)
京都鳥羽の生まれで、俗名を田口平六という。
後に安国院日講の門下となり、字を恵照、安住院と号す。
延宝三年(一六七五)一一月備中箕島の覚隆院の庵室を出立した日念は、日講の配所日向佐土原へ向い、翌年二月一日同地に到着、四月八日には仏前にて剃髪の粧を調え、日講より袈裟を授けられた。
爾来二〇余年の長きにわたり常随給仕し、啓蒙の清書に従い、その間元禄八年(一六九五)には慈父浄地院蓮住の二十五回忌に際し、日講より紺紙金泥の本尊を認められ、この時安住院の号を授与された。
元禄一一年三月日講の示寂後も一人同地に残り、翌年一周忌を終えて上京し、講門不受派の長老的存在として指導的役割を担った。
わけても日指・津寺両派の対立にあって、日指方の覚隆院日通の著『除講記』に対し、享保六年(一七二一)『愍諭盲跛記』を著して反論を加え、更に同一六年『梅花鶯囀記』を著述して講門の不受義を闡明した。