日忍(下野阿闍梨)
日忍(下野阿闍梨)
にちにん
(生没年未詳)
下野阿闍梨と号し、正峰日辨の俗弟であるとされる。
父は熱原甚四郎国重。
日蓮聖人の法孫であり、滅後相模の相橋に庵を創建し、これが長福寺となった。
日辨に下総の妙興寺を譲られたことにより中山日祐のもとに赴き、著作と伝道活動を行ったといい『天台深極抄』『天台四教略抄』等の書写本が伝えられる。
また妙興寺には日蓮聖人の舎利が格護されていたらしく、日忍はこれを日祐に分骨したという。
なお、日忍の没年について『本化別頭仏祖統紀』では応長元年(一三一一)四月一一日としているが、日祐に舎利を分与する旨を記した書状は暦応二年(一三三九)であり、また先の書写本の奥付は両本とも康永元年(一三四二)であり、さらに応安二年(一三六九)に千田庄多古日忍遺蹟堂供養が行われているから、日忍の没年は康永元年(一三四二)から応安二年(一三六九)の間に推定される。
《『宗全』一巻、『日本仏教人名辞典』「日忍」の項》