日広(龍華院)
日広(龍華院)
にっこう
(一五〇六-一五五三)
京都妙顕寺一〇世、龍華院と号す。
永正三年(一五〇六)木寺宮家の出身、邦康親王の子と考えられている。
日広は天文四年(一五三五)本宗が法華宗と名乗るのは天台法華宗の盗用であるとする叡山側に対して、建武元年(一三三四)四月、後醍醐天皇より賜わった宗号の綸旨「勅願所綸旨」を示して勝をえたと伝えられている。
天文二二年八月二五日、四八歳にて遷化。
【補記】こうした事件を介在させつつ、ついに巨大な法乱天文五年(一五三六)の「天文法難」となるが、日広はその主役であった。
乱後の動向の一端を示して日広作成の妙顕寺所蔵宝物の目録『重書記録』がある。
天文一五年五月の作成で、乱後の避難先、堺からの帰洛復興中の仕事であった。
《『日本仏教人名辞典』「日広」の項》