妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

日出(重須本門寺)

にっしゅつ #2481

日出(重須本門寺)

にっしゅつ

(一四九五-一五八七)
出生の地である甲州西条村押越に正法寺を開創したのち、重須本門寺塔中西之坊に入って本寺の寺務をたすけ、弘治三年(一五五七)二月二〇日、日耀の後を受けて本門寺九世に晋む。
永禄五年(一五六二)四月一〇日、不和であった西山本門寺(日建)とのあいだに和睦を成立。
永禄一二年二月四日、開創以来の諸堂が回禄の災に遭ったため、あとを日殿にゆずって退山した。
日殿は諸堂を再興したが、正九年(一五八一)三月一七日、ふたたび関係が不和となった西山本門寺(日春)の指嗾に動じた武田勝頼の命によって、本門寺所蔵の霊宝が持ちさらわれると、その返還に奔走したがならず、遂に日殿はその返還を祈祷して断食し、正一〇年二月六日餓死をとげた。
ために日出は再び山務を督したが、同年三月二日、武田攻撃の軍を率いた徳川康がたまたま重須に滞在し、日出に陣中守護の本尊授与を依頼した。
日出は請われるままに略奪をまぬがれた日蓮聖人筆になる本尊(のちにいう鉄砲本尊)を貸与した。
康は陣中にこれを帯したが、敵軍の鉄砲玉が本尊の花押の部分に当って危難をまぬがれたことをよろこび、その恩賞として日出の願いを聞いれたので、霊宝の大部分がかえり、不自由であった用水が掘削されて、いわゆる本門寺堀が作られたという。
かくして日出は正一五年五月五日、九三歳をもって寂した。

← 事典トップ