後諫手引草
後諫手引草
ごかんてびきぐさ
本妙院日珠の著。
『宗全』二一巻所収。
寛政五年、(一七九三)二月、日珠は不受不施義再興を願い、諫暁書『法華真正行』一巻を携えて寺社奉行脇坂淡路守安薫のもとに呈したが、三月二一日三宅島遠島を仰付けられ、同年九月一三日配流となった。
三宅在島二五年、文化一四年(一八一七)一二月二四日、伊ヶ谷の草庵に五五歳をもって入滅した。
本書は、不受不施派の僧俗にして後来諫暁を試みんとする人のため、自身のとった用意、心得、奉行所での役人及び奉行脇坂に対して振舞った応対の仕方など、懇切に著し、牢内(揚り屋)の状況、経験した事柄を書きとめ、諫暁の手引たらしめんとして執筆したものである。
初めに奉行所での入り方、奉行に諫書を受取らせるための役人との応対、禁制の不受不施派の僧であることが判明してからの態度等、奉行脇坂に種々取調べを受けながら、師、親兄弟、親戚など法類俗縁に類を及ぼさぬよう、飽くまで孤独の出家であり、更に不受不施義が日蓮聖人正統の宗義、宗制であることを強調して述べ、入牢してからの牢内の様子、罪人によって務められる役職、日々の生活様式、食事、見舞物の作法を始めとし、牢名主が日珠の徳行に感じて帰伏崇敬し、特別の世話をするようになったこと、しばしば奉行所まで連れ出されて取調べを受けた模様や、牢内で行った説法などが書きとめられている。
当時の諫暁の際の種々相、牢内での記録等、まことに貴重な記録である。
日珠は本記録の趣旨を最後に「かきおくる後のかたみのことの葉を ならべてさとすふでのいのちと」とうたいおさめている。