叡門の三猊
叡門の三猊
えいもんのさんげい
叡門というのは、身延山久遠寺の第七世法主となった上行院日叡の門下のことである。
その門下に波木井の郷の三人兄弟があった。
長男は行学院日億と称して、師匠の日叡の後を継いで身延山の第八世の猊座にのぼり、次男は比企谷と池上の両山の第六世貫首となった延命院日行であり、三男は身延山の第九世として長兄の日億の後を継いで猊座についた成就院日学である。
三人共に叡門から出て、学誉徳望に秀れ、推されて身延山・池上・比企谷の猊座にのぼったので、世人はこの三兄弟を「叡門の三猊」と称した。
長男の日億は初め身延山の猊座に晋むと共に、両山の主を兼ねたのであるが、両山の衆徒は、身延山と池上・比企谷の兼住については種々の面で不便であり、且つ法務に支障を来たすことを憂い、日億の了承を得て、法弟の日行を迎えて身延と両山は各山主を立てることになり、三山一主の制に終止符を打った。
日学は長兄日億の属を承けてその後を継ぎ、身延山の第九世となり、在職三八年、『肝心問答要集』『祖書見聞』他著書も多く、学匠としての誉も高かった。
《『身延山史』、『本化別頭仏祖統紀』、『日蓮教団全史』上》