仙石秀久
仙石秀久
せんごくひでひさ
(一五五一-一六一四)
安土桃山時代の武将。
通称を権兵衛。父は久盛という。美濃国(岐阜県)賀茂郡黒岩の出身。
織田氏に仕えて木下秀吉の配下となり、姉川の合戦に功をたて、その後淡路洲本城主に封ぜられ、讃岐高松城主を経て、豊後の島津義弘との戦いに敗北をきし、秀吉の叱責を受けて退けられた。
その後小田原攻めにて功をたて、ようやく秀吉より許され天正一八年(一五九〇)信濃国(長野県)小諸に五万石(あるいは六万石)を給せられ、文禄元年(一五九二)に越前守に任ぜられた。
文禄四年その室(法号・本陽院)の菩提を弔うため城下に一宇を創立して本陽寺と号し、興元院日達を開山に仰いだ。
関が原の戦には上田城の攻囲に加わり戦功をたてている。
元和八年(一六二二)仙石忠政の時上田に転封、本陽寺もまた同地に移った。
《『国史大辞典』八巻「仙石秀久」の項》