車返
車返
くるまがえし
鎌倉時代および以降の東海道中、駿河の国の東辺。すなわち現在の沼津市にあたる附近が交通の要衝であったことは、鎌倉時代の京都・鎌倉間の紀行文として名高い『海道記』『東関紀行』などの記事、また『吾妻鏡』『源平盛衰記』『春能深山路』などの諸文献に見られるところである。
文永一一年(一二七四)五月一四日、日蓮聖人も身延入山の途次、ここへ止宿したことは『富木殿御書』に、「十四日くるまがえし」(定八〇九頁)と見えているとおりである。
その場所については『海道記』などの文から、浮島ヶ原と木瀬川宿(黄瀬川宿)とに存在した地であることが知られる。
『海道記』は、そこが険阻の地であり、むかし車のわずらった所である旨を記しているが、このことから、車返の名称は古に高貴の人を乗せた車が難儀したことによったものであろう、と考えられてもいる。
沼津市三枚橋の蓮光寺付近から北部一帯がその地であろうと推されているが、ここは今も小高い台地となっており、その間は坂となっている。
なお、平成四年に宗門史跡として裾野市深良に所在する車返結社を車返霊場として定めている。
《『遺文辞典』歴史篇「くるまがへし」の項、『国史大辞典』一一巻「沼津」の項》