日賢(淡路阿闍梨)
日賢(淡路阿闍梨)
にちけん
(一二四三-一三三八)
淡路阿闍梨と号し、駿州安東村(静岡市安東)の出身。
初め日源(碑文谷法華寺・雑司谷法明寺祖)に従い、のち日位(池田本覚寺・村松海長寺祖)の弟子となった。
守塔輪番勤役に列し、正和年中(一三一二-一六)、日位の譲りを受けて、村松海上寺(静岡市清水区村松、のち海長寺と改む)を継ぎ二世となり、本仏堂を建立したという。
そして今は廃寺となったが、往時の海上寺末の賢明院(静岡市清水区)は日賢の開いたものと伝えられる。
日賢は延元三年(一三三八)三月一七日、九六歳をもって遷化したというが、とすれば輪番当時は四〇歳、日位より一一-二歳年長となり、不自然のように感ぜられもするが、求道に年齢を問わぬは僧家の例であるから、この疑念は妥当ではないかも知れない。
《『日本仏教人名辞典』「日賢」の項》