にっしゅう
(一五六五-一六二一)
京都伏見墨染寺の開山。字は純志、山梨県巨摩郡の人、身延山第一八世妙雲日賢の門人。
和歌を好み、日賢の代理で瑞龍夫人に会うために京都へ行った時、和歌で有名な幽斉紹巴に会うことができ、親しく交際し墨梁桜の旧跡をも訪ねた。
秀吉がそれを聞き、日秀を招き、貞観寺の縁由を語り、また墨染の地に一精舎を造って日秀に与え、日秀はこれを墨染寺と名づけた。
秀吉没後日秀山梨へ帰り、両親の墓を弔い、元和七年七月一七日化す。
寿五六歳。
《宮崎英修『日蓮宗徒群像』、『日本仏教人名辞典』「日秀」の項》