妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

日桓(鷲峰院)

にちかん #2768

日桓(鷲峰院)

にちかん

(-一六四四)
字は尊忠、鷲峰院と号し、大蔵卿公と称される。
京都本寺一七世、大僧正に任ず。
俗姓藤原氏、今出川(菊亭)晴季の二男、幼名・生年等は不詳。
寺一六世究竟院日禛に師。日禛が秀吉の千僧供養会招請をこばみ、慶長五年(一六〇〇)本寺を退山するに及び、その職を継承した。
日桓は本寺の法儀の隆昌と六条門流の拡充に努めたが、その間また本寺の経済的発展にもみるべきものがあったという。
ことに日桓治山の六条門流の九州進出期に当り、加藤清正の葬送に際しては大導師として肥後に下向し、その建立せる本妙寺を同門九州総本寺と定め、九州の門流組織を整え、また本妙寺日真の依頼に応え、智雄院日収を清正の母聖林院菩提所熊本常光寺(妙永寺)二世たらしめる等、九州における六条門流の発展に寄与した。
治山四九年(『本化別頭仏祖統紀』による、ただしこの年数には疑問がある)その地位を資乗体院日運に譲り、日禛の後を慕い小倉山常寂寺に退隠、正保元年遷化と伝う。
《『日本仏人名辞典』「日桓」の項》

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