妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

日東(唯妙院)

にっとう #2758

日東(唯妙院)

にっとう

(-一八二四)
字は了道、唯妙院と号す。
兵庫県揖保郡(現・たつの市)の人で同郡龍野の本行寺に入って得度し、了道と称した。初め日照と号したが後、日東と改めた。
小栗栖に負笈し要法寺の日住に学んだが、やがて日住の教学に不満を懐き、真門学の樹立を期した。
寛政四年(一七九二)三月、本隆寺三〇世を嗣ぐ。
寛政七年、要法寺の本尊改奠問題(要法寺日臨が木像本尊を撤去して文字本尊とし、他の一五本山がこれを非難した)に関しては、日東は諸山を代表して師の妙覚寺日綜と共に江戸に下り、日住と対決、論争に努めた。
文政七年八月二一日、摂津(大阪府)久成寺で示寂、世寿未詳。
著書に『文底義』一巻(明三年著、但し現行の文底義は遠成日寿らの改正に係る)、『大蔵開』『十疑弁』各一巻、ほかに対要法寺文書がある。
日東の学は日修を継承し、精密にしたもので真門教学の伝統である本迹勝劣・唯寿量の教相を説き、一部修行の正助を論じ、本果実証の一念三千を述べている。

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