にっちょう
(-一二八三・八七)
常在院と号す。
俗名を斉藤兼綱といい、上総藻原郷に住し藻原遠江守を称した。
初め日蓮聖人の教化に浴しその信者であったが、のち出家したという。
藻原妙光寺(藻原寺)をひらき、のち下総多古にうつって妙光寺を興し、また志摩妙興寺を創した。
その没年には異説があって定かでない。
上総妙光寺伝によれば弘安一〇年三月二二日、下総妙光寺伝によれば弘安六年五月二五日とあり、寂寿はいずれも不明。
『本化別頭仏祖統紀』は弘安六年五月二三日としているが、これも寂寿不明。
《『日本仏教人名辞典』「日朝」の項》