にってい
(一六一六-九〇)
京都本国寺第一九世。字は慧哲、一心院と号す。
勧修寺経敬の子。
幼にして中村檀林に学び、鷹ケ峰檀林化主、小室山妙法寺二一世、中村檀林能化を経て、中山法華経寺三四世となり、延宝九年(一六八一)本国寺に晋む。
また徳行高く律師法橋位に任ぜられている。
貞享二年(一六八五)徳川光圀は、母久昌院の二十回忌のために日廷に依頼して命日の一一月一四日法華懺法会を修している。
本国寺における懺法会の最初といわれる。
光圀はまた日廷を水戸へ請じたが、日廷老生をもって応じなかったと伝えられる。
元禄三年八月二〇日示寂。
寿七四歳。
《『日本仏教人名辞典』「日廷」の項》