妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

日堯(淳誉)

にちぎょう #2532

日堯(淳誉)

にちぎょう

(一五四三-一六〇四)
字は淳誉、号は不詳。
京都妙顕寺第一〇世。尾州の生まれ。
若くして出家し、下総飯塚の講肆に入って天台を学び教観に通じた。
のち志を立てて化に努め、諸方を巡遊して大いに効果をあげたが、妙顕寺に晋んでからは帝都の布教を盛んにした。
正一一年(一五八三)九月五日、戦乱のため荒廃した京都の復興を図った豊臣秀吉より「寺ノ内上ル小川通リ」へ移転を命ぜられたので、二条西洞院から伽藍を移して、その整備に努めた。
北岩倉宝林山金竜寺、鶏冠井(かいで)勝中山興隆寺を創建、晩年は洛内華光寺に隠棲し、慶長九年八月七日に六二歳をもって没す。

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