ろうげん
(一三二六-七八) 下総千葉又一郎の四男で徳寿丸といった。
一二歳で上洛し日像に仕え、日像寂後は大覚妙実に師事し勉学に努めた。
延文元年(一三五六)五月八日の付属状で大覚は三一歳の朗源を付弟と定め、貞治三年(一三六四)四月大覚入寂するや三九歳で京都妙顕寺第三世となった。
翌貞治四年に権少僧都に任ぜられ、同年、日実が弟子となり、その弟の日成も朗源に師事した。
永和四年(一三七八)正月八日、五三歳で頓入寂したが、妙覚寺(日実)・妙蓮寺(日慶)の開創に当ってはそれぞれの歴祖に推されている。
《『日本仏教人名辞典』「朗源」の項》