にっせい
(-一五一七)
智覚院と号す。
室町時代日蓮教団は全国に向って発展隆盛の一途を続けていたが、什門においても活躍めざましく安芸(広島県)方面への布教も教績を挙げていた。
その中で京都妙満寺一七世智覚院日誠が文亀・永正(一五〇一-二一)の頃、安芸に布教し、永正四年(一五〇七)加茂郡飯田に妙福寺、永正七年高田郡(現・安芸高田市)吉田に智光坊を開いた。
智光坊後に蓮華寺と改め、慶長九年(一六〇四)長門萩に移る。
顕本法華宗年鑑によると永正元年に妙福寺、蓮華寺を創すとある。
永正一四年九月二五日に寂す(『妙満寺歴譜』)。
《影山堯雄『日蓮教団史概説』、『日蓮教団全史』上》