日瑤(通心院)
日瑤(通心院)
にちよう
(-一六六五-)
通心院と号す。常寂院日耀が下総香取顕実寺に開いた松崎檀林の能化を勤め、依智妙純寺の歴代にその名を連ねている。
松崎檀林は野呂、養安寺、玉作の各檀林と共に不受派学徒の教育機関の中心であったが、寛文五年(一六六五)に行われた幕府による御朱印再交付に際し、小湊日明や碑文谷日禅等は悲田手形を書いて御朱印を受取り、日瑤は初め、手形提出を拒否し配流に処せられた野呂日講や玉作日浣と同心して行動していたが、内心は小湊等と通じ、手形を要求されて悲田手形を書いて難を免れたという。
【補記】 依智明星山妙純寺の歴代としては第一八世に睿如院日瑤の名がみえる。貞享三年(一六八六)一月一五日遷化との記録。