日因(蓮楽院)
日因(蓮楽院)
にちいん
(-一六一三)
字を如南、蓮楽院と号す。
中山に三山輪番制が布かれたのは慶長二年(一五九七)、佛心院日珖によってであるが、同一六年、日来は中山一七世を継いで、自ら常住することを望み、俗縁の大久保次右衛門の庇護を頼み、不平の四院家等と語らって、輪番を破棄しようとした。
一方、同一五年、本法寺一一世日因は輪番のため下向したが、日来らはこれを拒んで入寺させず、仕方なしに江戸に留って隠居していたが、この凌辱に耐えかねて自害するに至った。
慶長一八年一〇月二九日である。
日因入寂を聞き、本法寺一二世日慈は幕府に訴え、勝訴となって入寺し輪番は確認された。
日来は除歴、一七世日因、一八世日慈と中山歴譜に列せられた。
《『中山治要録』》