日億(行学院)
日億(行学院)
にちおく
(-一四二二)
行学院と号す。身延山久遠寺第八世、甲州波木井の生れで、延命院日行、成就院日学と兄弟で、その長兄である。
はやくに父母を失ったため、二弟と共に身延第七世日叡の門に投じたが、ともに学徳の誉望がたかく、世に叡門の三猊と呼ばれたと伝えられる。
自身は身延第八世に、次の日行は比企池上両山に、末の日学は身延第九世にそれぞれ進み、しかも兄弟あい次いで身延の主座を襲ったので、かかる名声を得たものであろう。
応永七年(一四〇〇)、比企池上両山を兼職していた日叡が四九歳で入寂したので、そのあとをうけて第八世となり、比企池上両山を兼ねて三山の主となったが、両山から三山一主の制を廃止して両山にも主をおくべき申入れがあったので、これを入れ、法弟の日行をおくって両山の主とし、身延・両山を旧制のごとく各山一主の統べるところとした。
在位二三年、応永二九年一一月八日入寂。
寿は不詳である。