にちいん
(一四一五-一五〇一)
字・院号不明。本妙寺(正中山法華経寺)第七世日有のあとを受けて八世となる。
因みに日有の没年は文安五年(一四四八)である。
在住は五〇年をかぞえると思われるが、伝は不明な点が多く、つまびらかでない。
文亀元年六月六日に没す。
寿八五。
身延九世日学・中山七世日有との間にむすばれた和議は、そののち、中山が七条法服を着用したことで再び破れたが、日院の代に至って和議が成り、中延両山の関係は密となった。
身延は第一一世日朝の代であるが、日朝は和議の後、中山において法談したという。