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師子王御書

全集 第7巻 2段 定本: #20320(定本の該当ページへ)

書下し

師子王御書ししおうごしよ


[1](前欠)閻浮提えんぶだい中飢餓□□示現閻浮提中□□」また云はく、「また示現閻浮提中□□劫起」等云云。人王三十代□□国の聖明王□□国にわたす。〔王これを用ひず〕して三代仏罰にあたるべし。釈仏を申し隠すとが□□念仏者等善光寺の阿弥陀仏云云。上一人かみいちにんより下万民しもばんみんにいたるまで皆人□□これをあらわす。
[2]日蓮にあだをなす人は、すべて日蓮を犯す。天はすべてこの国を□□二に云はく「〔経を読誦し書持すること有らん者を見て、軽賤憎嫉して結恨を懐かん〕」等云云。また云はく「多病しようそう」。第八に云はく「諸悪重病」。また第二に云はく「〔もし医道に従ひ、まさに順ひて病を治し、更に他の疾を増し、或はまた死を致す〕」。また云はく「〔もし自ら病有らんに人の救療すること無くんばたとひ良薬を服すともまた増劇す〕」等云云。
[3]〔弘法大師、後に望めて戯論けろんす。東寺とうじの一門、かみ御室よりしも一切の東寺の門家は法華経を戯論と云ふ。叡山えいざん座主ざす並びに三千の大衆だいしゆ□□日本国山寺一同の云はく「□□大日経」等云云。智証大師*ちしようだいしの云はく「〔法華なほ及ばず〕」等云云。園城おんじよう長吏ちようり並びに一国の末流等云はく「法華経は真言経に及ばず」と云云。この三師を用ふる国主終ひに皇法尽き了んぬ。明雲座主*みよううんざすの義仲に殺されし、承久に御室*おむろ思ひ死にせしこれなり。
[4]願はくは我弟子等は師子王の子となりて群猿に笑はるる事なかれ。過去遠々劫よりこのから、日蓮がごとく身命をすてて強敵の科を顕す師子にはひがたかるべし。国王の責めなををそろし。いわうや閻魔のせめをや。日本国のせめは水のごとし。ぬるるををそるる事なかれ。閻魔のせめは火のごとし。裸にして入るとをもへ。大涅槃経だいねはんきようの文の心は、「仏法を信じて今度生死をはなるる人の、すこし心のゆるなるをすすめむがために、疫病を仏のあたへ給ふ。はげます心なり、すすむる心なり。」
[5]日蓮は凡夫なり。天眼てんげんなければ一紙をもみとをすことなし。宿命しゆくみようなければ三世を知ることなし。しかれどもこの経文のごとく日蓮は肉眼にくげんなれども天眼・宿命□□日本国七百余歳の仏眼の流布せしやう、八宗十宗の邪正、漢土・月氏がつしの論師・人師の勝劣、八万十二の仏経の旨趣をあらあらすいち(推知)し、我朝の亡国となるべき事、先きにかんがへてあたかも符契ふけいのごとし。これ皆法華経の御力なり。しかるを国主はざん臣等が凶言ををさめてあだをなせしかば、凡夫なれば道理なりとをもへて退する心なかりしかども、度々あだをなし、(後欠)
現代語訳

師子王御書


弘安元年(一二七八)、五七歳、於身延、和文、定一六〇八—一六一〇頁。

[1](前欠)閻浮提の中飢餓□□示現閻浮提の中□□」とあり、また「示現閻浮提の中□□劫起」などとあります。人王三十代□□国の聖明王□□国にわたします。王はこれを用いないで三代にわたって仏罰にあたるでしょう。釈仏をないがしろにするとが□□念仏者ら善光寺の阿弥陀仏らです。上一人より下万民にいたるまで、みんな□□これをあらわします。
[2]私に憎しみをおぼえている人は、すべて実力行使をして迫害します。天はすべてこの国を□□。法華経第二巻の譬品に「読誦し書持することあろう者を見て、軽賤憎嫉して結恨を懐くであろう」とか、また「やまい多く瘠」とあり、第八巻の普賢菩勧発品かんぼつぼんに「もろもろの悪重病があるであろう」とあり、また譬品に「もし医者に従い、処方に順って病を治しても、さらに他の病を増し、あるいはまた死にいたる」とか、また「もし病気にかかった場合に、人が救療することなければ、たとえ良薬を服しても、しかもまたはげしさを増す」などとあります。
[3]弘法大師は、法華経は戯論であるということを後代のものに教えたので、東寺の一門は、上は仁和寺の御室から下はすべての門家の衆まで法華経を戯論であるといっています。比叡山延暦寺の座主ならびに三千人の僧たち□□日本国の山寺の僧たちは声をそろえて「□□大日経」などといいます。智証大師は「法華経なお及ばず」などと教えました。それを受けて園城寺の長吏ならびに日本中の寺門一派の僧たちは「法華経は真言経に及ばず」といっています。この三師の教えを信奉する国主によって世間の法体系はついにくずれてしまいました。寿永の乱のおりに天台座主明雲が木曾義仲に殺され、承久の乱の時に御室の道助どうじよ法親王が思い死にをしたのはそれを実証する例です。
[4]どうか私の弟子らは、堂々たる獅子王の子として、軽率に騒ぎまわる群猿のような連中に笑われないようにしてください。過去永遠の昔から、私のように身命をして強敵の罪科を暴き出す獅子王はいなかったでしょう。現世における国王の弾圧はきびしい、まして来世での閻魔王の拷問はもっとすさまじいに違いありません。日本国の弾圧は水攻めのようなものです。濡れるのをってはいけません。閻魔庁の拷問は火攻めのようなものです。裸で飛び込む覚悟を持たなければなりません。大般涅槃経だいはつねはんぎようの文の心は「仏法を信じて人生の苦悩から解脱しようとする人が、いささか怠慢になっているのを覚醒させるために、仏が疫病えきびようをお与えになるのであるが、これは激励のためであり、勧誡のためである」というのです。正しく受けとめて、覚悟をあらたにしなければいけません。
[5]私は凡夫です。何事も見抜く天眼通があるわけではないので一枚の紙さえも見通すことができません。いつの世の出来事でも知る宿命智しゆくみようちがあるわけでもないので過去・現在・未来のいずれのこともわかりません。しかし、この経文のように、私は肉眼ではあるけれども天眼・宿命□□日本国に仏法が伝来してから七百余年の間の流布状況、仏教教団の八宗・十宗の邪正、中国やインドの仏教論書を著わした人や仏法を説いた人の優劣、八万巻・十二種の仏教経典の内容などをだいたい考察し、わが国が衰滅するであろうことを予知・予告しましたが、それが当たっているようです。これはみな法華経の偉大なお力によるものです。それなのに国主は、人を陥れようとする連中の悪口に迷わされて私たちを弾圧するので、まあこれも凡夫の仕業だから誤りがあってもやむをえないと思われて、当方としてはべつに主張を曲げるつもりはなかったのですが、たびたび迫害に及び(後欠)