妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

種種物御消息

全集 第7巻 2段 定本: #20299(定本の該当ページへ)

書下し

種種物御消息すずものごしようそく


[1]みなみなのものをくり給ひて法華経にまいらせ候ふ。
[2]そもそも日本国の人を皆やしないて候ふよりも、父母一人やしないて候ふは功徳まさり候ふ。日本国の皆人をころして候ふは大地獄に堕ち候ふ。父母をころせる人は第八の無間*むけん地獄と申す地獄に堕ち候ふ。人ありて父母をころし、釈仏の御身よりち(血)をいだして候ふ人は、父母をころすつみ(罪)にては無間地獄に堕ちず、仏の御身よりちをいだすつみにて無間地獄に堕ち候ふなり。また悪・逆をつくり、十方三世の仏の身よりちをいだせる人の法華経の御かたきとなれるは、十悪・五逆、十方の仏の御身よりちをいだせるつみにては阿鼻*あび地獄へは入る事なし。ただ法華経不信の大罪によりて無間地獄へは堕ち候ふなり。また十悪五逆を日々につくり十方の諸仏を月々にはう(謗)ずる人と、十悪五逆を日々につくらず十方の諸仏を月々にはうぜず候ふ人、この二人は善悪はるかにかわりて候へども、法華経を一字一点もあひそむきぬれば、かならずおなじやうに無間地獄へ入り候ふなり。
[3]しかればいまの代の海人山人日々に魚鹿等をころし、源家平家等の兵士等のとしどしに合戦をなす人々は、父母をころさねばよも無間地獄には入り候はじ。便宜候はば法華経を信じて、たまたま仏になる人も候ふらん。
[4]今の天台座主ざす・東寺・御室*おむろ・七大寺の検校*けんぎよう園城寺おんじようじ長吏ちようり等の真言師並びに禅宗・念仏者・律宗等は、眼前には法華経を信じよむににたれども、その根本をたづぬれば弘法大師・慈覚*じかく大師・智証*ちしよう大師・善導・法然等が弟子なり。源にごりぬれば流れきよからず。天くもれば地くらし。父母謀反をおこせば妻子ほろぶ。山くづるれば草木たふるならひなれば、日本六十六ケ国の比丘比丘尼等の善人等皆無間地獄に堕つべきなり。されば今の代に地獄に堕つるものは悪人よりも善人、善人よりも僧尼、僧尼よりも持戒にて智かしこき人々の阿鼻地獄へは堕ち候ふなり。
[5]この法門は当世日本国に一人もし(知)りて候ふ人なし。ただ日蓮一人ばかりにて候へば、これを知りて申さずは日蓮無間地獄に堕ちてうかぶご(期)なかるべし。譬へばむほんの物をしりながら国主へ申さぬとが(失)あり。申せばかたき雨のごとし風のごとし。むほんのもののごとし。海賊山賊のもののごとし。かたがたしのびがたき事なり。例せば威音王いおんのう仏の末の不軽菩*ふぎようぼさつのごとし。歓喜かんぎ仏のすえの徳比丘のごとし。台のごとし。伝教のごとし。またかの人々よりもかたきすぎたり。かの人々は諸人ににくまれたりしかどもいまだ国主にはあだまれず。これは諸人よりは国主にあだまるる事父母のかたきよりもすぎたるをみよ。
[6]かかるふしぎの者をふびんとて御くやう候ふは、日蓮が過去の父母か。また先世の宿習か。おぼろげの事にはあらじ。その上、雨ふり、かぜふき、人のせい(制)するにこそ心ざしはあらわれ候へ。これもまたかくのごとし。ただなる時だにも、するが(駿河)とかい(甲斐)とのさかいは山たかく、河はふかく、石ををく、みちせばし。いわうやたうじ(当時)はあめはしの(篠)をたてて三月にをよび、かわわまさりて九十日。やまくづれ、みちふさがり、人もかよはず、かつて(糧)もたへて、いのちかうにて候ひつるに、このすずの物たまわりて法華経の御こへ(声)をもつぎ、釈仏の御いのちをもたすけまいらせさせ給ひぬる御功徳、ただをしはからせ給ふべし。くはしくはまたまた申すべし。恐恐。
[7]<日>七月七日
[8]<人>日 蓮<花押>花押
[9]<先>御返事
現代語訳

種種物御消息


弘安元年(一二七八)七月七日、五七歳、於身延、和文、定一五二九—一五三二頁。

[1]お送りいただいた品々、法華経のご宝前にお供えいたしました。
[2]そもそも日本国の人民すべてを養うよりも、父なり母なりの一人を養う功徳の方がまさっています。また、日本国の人民すべてを殺すと八大地獄のうちの七大地獄に落ちますが、親を殺した人は地獄の中でも最低で第八番目の無間地獄という地獄に落ちて極刑を受けるのです。では親を殺した人と、釈仏のお体を傷つけて血を出した人との罪を比較したらどうかというと、親殺しの罪では無間地獄に落ちなかったとしても、仏のお体から血を出した人は必ず無間地獄に落ちるのです。次に、十悪・五逆の罪を犯して十方世界の三世の仏の体を傷つけて血を出した人と、法華経に敵対した人との場合を比較してみると、十方の仏のお体から血を出した罪では絶対に無間阿鼻地獄に落ちることはないとしても、法華経を信仰しないために色々の悪事をはたらいた者は、その大罪によって必ず無間地獄に落ちてしまうのです。それから、十悪五逆の罪を毎日犯して十方の諸仏を毎月誹謗する人と、十悪五逆の罪を一日も犯さず十方の諸仏を月月にわたってまったく誹謗することのない人と、この二人は善悪の隔たりがはなはだしく、一方だけが無間地獄に落ちることになるのですが、しかし法華経に一字一点でも背いた場合には、すべての人が同じように必ず無間地獄に落ちてしまいます。
[3]そのようなわけですから、今の代の漁師や猟師が日々に魚や鹿などを殺し、源氏や平家の武士たちが年々合戦をして人を殺していますが、父母を殺すことはないので、まさか無間地獄には落ちないでしょう。いやそれどころか、機会に恵まれたならば法華経にめぐりあい、それを信仰してうまい具合に仏になる人もいるかも知れません。
[4]ところで、今の天台座主・東寺の長者・仁和寺にんなじの御室・奈良七大寺の検校・園城寺の長吏といった真言師ならびに禅宗・念仏者・律宗の僧たちは、表面的には法華経を信じて読むようですが、その根本的な立場を尋ねてみれば、弘法大師・慈覚大師・智証大師・善導・法然らの弟子なのであって、真の法華経信奉者ではありません。たとえば、源泉が濁っていれば流れは清くならないし、空が曇れば地上は暗くなり、夫や親が謀反を起こせば妻や子が害され、山がくずれれば草木は倒れるというように、日本六十六か国の僧や尼たちは、本人は善人だといっても根源の罪悪によってみな無間地獄に落ちるにきまっています。だから今の代で地獄に落ちるものは、悪人よりも善人、善人よりも僧尼、一般の僧尼よりも堅く戒律を守り高く学問を究める高徳の僧尼であって、落ち行く先は阿鼻地獄です。
[5]私の説く法門は、この日本国に一人も知っている人がいません。ただ私だけが会得した法門なのですから、これを知っているくせに国主に進言しないとなると、無間地獄に落ちて浮かび上がる時がないでしょう。たとえば謀反人がいるのを知りながら国主へ告げなければ罪になるようなものです。しかし私の法門を国主に進言したところ、反対者の攻撃が雨のように降りかかり、風のように吹きつけてきます。まるで謀反人あつかいです。海賊か山賊のように憎まれます。あれこれと耐えがたいことばかりです。たとえば、威音王仏の末の世に出た不軽菩のように、あるいは歓喜仏の末の世に出た覚徳比丘のように、あるいはまた天台大師のように、そして伝教大師のように、正法を弘めるための迫害にあっています。いや私の場合はそれらの方々よりもむごい仕打ちを受けています。あの方々は、多くの人々に憎まれましたけれども、国主に怨まれることはありませんでした。私は、一般の人々よりもむしろ国主によって弾圧されているのですが、私に向けられる憎しみは親の仇に対するよりも凄いのをご覧なさい。
[6]そのような常識はずれの迫害を受けている私を気の毒だと思ってご供養くださるのは、過去の世で私の父母ででもいらっしゃったのでしょうか、それともまた先世からの他の因縁によるものなのでしょうか。なみたいていのご縁ではないでしょう。そればかりでなく、雨が降ったり、風が吹いたり、人が妨げたりするような悪い条件の時にこそ人の真心は本当の姿を現わすものですが、貴殿のご供養はまさしくそれに当たるものです。普段の時でさえも、駿河の国と甲斐の国との境は山が高く河が深く石だらけで道が狭く、通りにくい所です。ましてこのごろは、しのを突くような豪雨が三か月間も降り、川の水量は九十日間も増し続け、山はくずれ、道はふさがり、だれ一人訪れてこないので、食糧もなくなり、命もこれまでという窮状でしたところに、このたびいろいろのご供養物を頂戴して元気を復しました。貴殿はこれによって、法華経の御説を絶やすことなく、釈仏の御命をもお助けなさることになるので、その御功徳の大きさは測り知ることができません。委細はまた申し上げましょう。恐々。
[7]<日>七月七日
[8]<人>日 蓮 <花押>花押
[9]<先>御返事