千日尼御返事
書下し
千日尼御返事
[1]こう入道殿の尼ごぜんの事、なげき入って候ふ。またこいしこいしと申しつたへさせ給へ。
[2]鵞目一貫五百文・のり・わかめ・ほしい(干飯)・しなじなの物給ひ候ひ了んぬ。法華経の御宝前に申し上げて候ふ。
[3]法華経に云はく「〔もし法を聞く者有らば一として成仏せざること無し〕」云云。文字は十字にて候へども「法華経を一句よみまいらせ候へども、釈迦如来の一代聖教をのこりなく読むにて候ふ」なるぞ。故に妙楽大師云はく「〔もし法華を弘むるにはおよそ一義を消するも皆一代を混してその始末を窮めよ〕」等云云。「始」と申すは華厳経、「末」と申すは涅槃経。華厳経と申すは仏、最初成道の時、法慧・功徳林等の大菩薩、解脱月菩薩と申す菩薩の請に趣いて仏前にてとかれて候ふ。その経は天竺・竜宮城・兜率等は知らず、日本国にわたりて候ふは六十巻・八十巻・四十巻候ふ。「末」と申すは大涅槃経、これも月氏・竜宮等は知らず、我が朝には四十巻・三十六巻・六巻・二巻等なり。これより外の阿含経・方等経・般若経等は五千・七千余巻なり。これ等の経々は見ずきかず候へども、ただ法華経の一字一句よみ候へば、彼々の経々を一字もをとさずよむにて候ふなるぞ。譬へば「月氏」・「日本」と申すは二字。二字に五天竺・十六の大国・五百の中国・十千の小国・無量の粟散国の大地・大山・草木・人蓄等をさまれるがごとし。譬へば鏡はわづかに一寸二寸三寸四寸五寸と候へども、一尺五尺の人をもうかべ、一丈二丈十丈百丈の大山をもうつすがごとし。さればこの経文をよみて見候へば、この経をきく人は一人もかけず仏になると申す文なり。
[4]九界六道の一切衆生各々心々かわれり。譬へば二人三人ないし百千人候へども一尺の面の内じち(実)ににたる人一人もなし。心のにざるゆへに面もにず。まして二人十人、六道九界の衆生の心いかんがかわりて候ふらむ。されば花をあいし、月をあいし、すき(酸)をこのみ、にがきをこのみ、ちいさきをあいし、大なるをあいし、いろいろなり。善をこのみ、悪をこのみ、しなじななり。かくのごとくいろいろに候へども、法華経に入りぬればただ一人の身、一人の心なり。譬へば衆河の大海に入りて同一鹹味なるがごとく、衆鳥の須弥山に近づきて一色なるがごとし。
[5]提婆が三逆と羅睺羅が二百五十戒と同じく仏になりぬ。妙荘厳王の邪見と舎利弗が正見と同じく授記をかをほれり。これ即ち「〔一として成仏せざるは無し〕」のゆへぞかし。四十余年の内の阿弥陀経等には舎利弗が「七日の百万反大善根」ととかれしかども、「〔いまだ真実を顕さず〕」ときらわれしかば七日ゆ(湯)をわかして大海になげたるがごとし。ゐ(韋
)提希が観経をよみて無生忍を得しかども、「〔正直に方便を捨つ〕」とすてられしかば法華経を信ぜずば返つてもとの女人なり。大善も用ふる事なし。法華経にあはずばなにせん。大悪もなげく事なかれ。一衆を修行せば提婆が跡をもつぎなん。これ等は皆「〔一として成仏せざるは無し〕」の経文のむなしからざるゆへぞかし。
[6]されば故阿仏房の聖霊は今いづくむにかをはすらんと人は疑ふとも、法華経の明鏡をもつてその影をうかべて候へば、霊鷲山の山の中に多宝仏の宝塔の内に、東むきにをはすと日蓮は見まいらせて候ふ。もしこの事そらごとにて候わば、日蓮がひがめにては候はず、釈迦如来の「〔世尊は、法久しうして後、要ずまさに真実を説きたまうべし〕」の御舌と、多宝仏の「〔妙法華経は皆これ真実なり〕」の舌相と、四百万億那由他の国土にあさ(麻)のごとく、いね(稲)のごとく、星のごとく、竹のごとく、ぞくぞくとすきもなくつらねゐてをはしましし諸仏如来の、一仏もかけ給はず広長舌を大梵王宮に指し付けてをはせし御舌どもの、くぢら(鯨)の死にてくされたるがごとく、いわし(鰯)のよりあつまりてくされたるがごとく、皆一時にくちくされて、十方世界の諸仏如来大妄語の罪にをとされて、寂光の浄土の金なる大地はたとわれて、提婆がごとく無間大城にかはと入り、法蓮香比丘尼がごとく身より大妄語の猛火ぱといでて、実報華王の花のその(園)一時に灰燼の地となるべし。——いかでかさる事は候ふべき。故阿仏房一人を寂光の浄土に入れ給はずは諸仏は大苦に堕ち給ふべし。ただをいて物を見よ、ただをいて物を見よ。仏のまことそら事はここにて見奉るべし。
[7]さては、をとこははしら(柱)のごとし、女はなかわ(桁)のごとし。をとこは足のごとし、女人は身のごとし。をとこは羽のごとし、女はみ(身)のごとし。羽とみとべちべちになりなば、なにをもんてかとぶべき。はしらたうれなばなかは地に堕ちなん。いへにをとこなければ人のたましゐなきがごとし。くうじ(公事)をばたれにかいゐあわせん。よき物をばたれにかやしなうべき。一日二日たがいしをだにもをぼつかなしとをもいしに、こぞの三月の二十一日にわかれにしが、こぞもまちくらせどもみゆる事なし。今年もすでに七つき(月)になりぬ。たといわれこそ来たらずとも、いかにをとづれはなかるらん。ちりし花もまたさきぬ。をちし菓もまたなりぬ。春の風もかわらず、秋のけしきもこぞのごとし。いかにこの一事のみかわりゆきて、もとのごとくなかるらむ。月は入りてまたいでぬ。雲はきへてまた来る。この人の出でてかへらぬ事こそ天もうらめしく、地もなげかしく候へとこそをぼすらめ。いそぎいそぎ法華経をらうれう(粮料)とたのみまいらせ給ひて、りやうぜん浄土へまいらせ給ひて、みまいらせさせ給ふべし。
[8]そもそも子はかたきと申す経文もあり。「〔世人、子の為に衆の罪を造る〕」の文なり。鵰・鷲と申すとりはをやは慈悲をもつて養へば子はかへりて食とす。梟鳥と申すとりは生まれて必ず母をくらう。畜生かくのごとし。人の中には、はるり王は心もゆかぬ父の位を奪ひ取る。阿闍世王は父を殺せり。安禄山は養母をころし、安慶緒と申す人は父の安禄山を殺す。安慶緒は子史師明に殺されぬ。史師明は史朝義と申す子にまたころされぬ。これは敵と申すもことわりなり。善星比丘と申すは教主釈尊の御子なり。苦得外道をかたらいて度々父の仏を殺し奉らんとす。
[9]また子は財と申す経文もはんべり。ゆえに経文に云はく「〔その男女追いて福を修すれば大光明有りて地獄を照らし、その父母に信心を発さしむ〕」等と云云。たとひ仏説ならずとも眼の前に見えて候ふ。天竺に安足国王と申せし大王はあまりに馬をこのみてかいしほどに、後にはかいなれて鈍馬を竜馬となすのみならず、牛を馬ともなす。結句は人を馬となしてのり給ひき。その国の人あまりになげきしかば、知らぬ国の人を馬となす。他国の商人ゆきたりしかば薬をかいて馬となして御まやう(厩)につなぎつけぬ。なにとなけれども我が国はこいしき上、妻子ことにこいしく、しのびがたかりしかども、ゆるす事なかりしかばかへる事なし。またかへりたりとも、このすがたにては由なかるべし。ただ朝夕にはなげきのみしてありし程に、一人ありし子、父のまちどき(待時)すぎしかば、「人にや殺されたるらむ。また病にや沈むらむ。子の身としていかでか父をたづねざるべき」といでたちければ、母なげくらく、「男も他国にてかへらず、一人の子もすててゆきなば、我いかんがせん」となげきしかども、子ちちのあまりにこいしかりしかば安足国へ尋ねゆきぬ。ある小家にやどりて候ひしかば家の主申すやう、「あらふびんや、わどのはをさなき物なり。しかもみめかたち人にすぐれたり。我に一人の子ありしが他国にゆきてしに(死)やしけん、またいかにてやあるらむ。我が子の事ををもへば、わどのをみてめ(目)もあてられず。いかにと申せば、この国は大なるなげき有り。この国の大王あまり馬をこのませ給ひて不思議の草を用ひ給へり。一葉せばき草をくわすれば人、馬となる。葉の広き草をくわすれば馬、人となる。近くも他国の商人の有りしを、この草をくわせて馬となして、第一の御まやに秘蔵してつながれたり」と申す。この男これをきいて、「さては我父は馬と成りてけり」とをもひて、返つて問ひ云はく、「その馬は毛はいかに」とといければ、家の主答へて云はく、「栗毛なる馬の肩白くぶちたり」と申す。この物この事をききて、とかうはからいて、王宮に近づき、葉の広草をぬすみとりて、我父の馬になりたりしに食せしかばもとのごとく人となりぬ。その国の大王不思議なるをもひをなして、孝養の者なりとて父を子にあづけ、それよりついに人を馬となす事とどめられぬ。子ならずばいかでか尋ねゆくべき。目連尊者は母の餓鬼の苦をすくい、浄蔵・浄眼は父の邪見をひるがえす。これよき子の親の財となるゆへぞかし。
[10]しかるに故阿仏聖霊は日本国北海の島のえびすのみ(身)なりしかども、後生ををそれて出家して後生を願ひしが、流人日蓮にあひて法華経を持ち、去年の春、仏となりぬ。尸陀山の野干は仏法にあひて、生をいとひ死を願ひて帝釈と生まれたり。阿仏上人は濁世の身を厭ひて仏になり給ひぬ。その子藤九郎守綱はこの跡をつぎて一向、法華経の行者となりて、去年は七月二日、父の舎利を頸に懸け、一千里の山海を経て甲州波木井身延山に登りて法華経の道場にこれにおさめ、今年はまた七月一日身延山に登りて慈父のはかを拝見す。子にすぎたる財なし、子にすぎたる財なし。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。
[11]<日>七月二日日>
[12]<人>日 蓮<花押>花押花押>人>
[13]<先>故阿仏房尼御前御返事先>
[14]追申
[15]絹染の袈裟一つまいらせ候ふ。豊後房に申さるべし。既に法門日本国にひろまりて候ふ。北陸道をば豊後房なびくべきに学生ならでは叶ふべからず。九月十五日以前にいそぎいそぎまいるべし。
[16]かずの聖教をば日記のごとくたんば(丹波)房にいそぎいそぎつかわすべし。山伏房をばこれより申すにしたがいて、これへはわたすべし。山伏ふびんにあたられ候ふ事悦び入りて候ふ。
現代語訳
千日尼御返事
弘安三年(一二八〇)七月二日、五九歳、於身延、和文、定一七五九—一七六六頁。
[1]国府入道殿の尼御前のことは歎かわしく思うばかりです。恋しい、恋しいといっているとお伝えください。
[2]銭一貫五百文、のり、わかめ、干飯など種々のご供養品をお届けいただきました。謹んで法華経のご宝前にご奉告いたしました。
[3]法華経の方便品に「法華経を信じるものは、一人として成仏しないものはない」とあります。この一句は、文字はわずかに十字でありますが書かれている内容は、「法華経を一句読んだだけで、釈迦如来が一生かかってお説きになった聖教全部を読んだのと同じ功徳がある」ということなのです。だから妙楽大師は法華玄義釈籤に「もし法華経を弘めようとするならば、ただ一義を解釈するにも、釈尊が一生かかって説かれた教えのすべてにわたり、その始から末までを考窮しなければならない」といっています。その「始」とは華厳経であり、「末」とは涅槃経です。華厳経というのは、釈尊がはじめて悟りを開かれた時に、法恵・功徳林・金剛幡・金剛蔵の四大菩薩が、解脱月という菩薩の要請に応じて仏の前でお説きになった経典です。この経は、インド・竜宮城・兜率天などに収蔵されていたころに何巻あったかは知りませんが、漢訳されて日本国に渡来したのは六十巻・八十巻・四十巻の諸本です。次に「末」というのは大涅槃経です。これもインドや竜宮城などの場合はわかりませんが、日本には四十巻・三十六巻・六巻・二巻などの諸本が伝えられています。この二経のほかの、阿含経・方等経・般若経などは五千巻あるとも七千余巻あるともされます。これらの膨大な経典類を見たり聞いたりなさらなくても、ただ法華経の一字一句さえお読みすれば、すべての経典を一字もらさず読んだことになるのですよ。たとえば「インド」「日本」といえばたったの二字にすぎませんが、それらの二字の中に、五つの天竺・十六の大国・五百の中国・千万の小国・無数の粟粒のような微小国の、大地・大山・草木・人畜などのすべてが納まっているようなものです。また、たとえば鏡はわずかに一寸・二寸・三寸・四寸・五寸といった小さなものですが、一尺・五尺の人の姿を映し、一丈・二丈・十丈・百丈の大山をも映すようなものです。そのようなわけで、前に示した法華経の方便品の一句を読んでみると、それは「この経の教えに随う人は、一人も欠けることなく仏になる」という文なのです。
[4]下は地獄界から上は菩薩界にいたるまでの九界、それに地獄道から天道までの六道に住む一切の衆生の心はみな違っています。たとえば二人・三人といった少人数から、百人・千人という大勢の人々の顔は、みな一尺ばかりですが、まったく同じ顔は一つもありません。それぞれ心が違っているので顔も同じではないのです。まして二人・十人どころか六道・九界の無数の衆生の心はどれほど変わっていることでしょうか。だから人は、花を愛したり、月をめでたり、すっぱいのを好んだり、にがいのを好いたり、小さいのが目にかなったり、大きいのに心を奪われたり、嗜好はいろいろです。また善を好み、悪に溺れるなど、価値観もさまざまです。このように、人は種々雑多なものではありますが、法華経の世界に入ってしまえば、ただ一人の身、ただ一人の心となってしまいます。たとえば、多くの川の水が大海に入ることによって同じ塩味となるような、あるいは、多くの鳥が須弥山に近づけばみな黄金一色となるようなものです。
[5]あの三逆罪を犯した大悪人の提婆達多も、二百五十戒を保って釈尊の十大弟子の中に加えられた羅睺羅も、法華経によって同じく仏となりました。バラモンの教えに執着していた邪見の妙荘厳王も、正見で十大弟子中の智恵第一とされた舎利弗も、法華経では同じように成仏することが予告されました。これは法華経が、「この経を信じる者は、一人として成仏しないものはない」という経典だからなのです。釈尊が法華経を説かれる以前の四十余年間の説法のうちの、阿弥陀経などでは、仏が舎利弗に「七日間、阿弥陀仏の名号を百万反唱えたならば、その大善根の功徳によって必ず極楽浄土に往生する」といわれていますが、後に法華経をお説きになる段階で「過去の四十余年間の説法はみな方便であって、いまだ真実を顕わしていない。これから説くのが真実の教えである」と宣言なさったので、法華経以前の一切経は、あたかも七日間沸かしつづけた湯をむざむざと大海に投げ入れたようなもので、何の効力もないものとなりました。また、韋提希夫人は観無量寿経を読んで無生忍の悟りを得ましたが、法華経において釈尊みずからが「正直に過去の方便の説を捨てる」と宣言なさったものですから、せっかくの韋提希夫人も、もし法華経を信じることがなかったならばもとの凡女にかえってしまうはめになったわけです。このようなわけですから、大善だからといってそのまま認めるわけにはいきません。なぜなら法華経に裏づけられなければ意味がないからです。また、大悪だからといって必ずしも歎くに当たりません。なぜなら法華経の一乗法を修行したならば提婆達多と同じように成仏できるからです。これらはみな、法華経の「一として成仏しないものはない」という文句に嘘がないからなのです。
[6]そのようなわけですから、故阿仏房の聖霊は今どこにおいでになることだろうかと人は疑問に思うかも知れませんが、法華経の澄んだ鏡に影を映してみれば、霊鷲山にそびえている多宝塔の中に、東向きに坐って、釈迦・多宝の二仏と対面していらっしゃるお姿が、私には拝見できるのです。もし、このことが間違っていたとすると、それは私の偏見ではなくて、釈迦・多宝の二如来や十方の浄土にいらっしゃる無数の如来たちが嘘をついたことになるのです。そうだとすると、釈迦如来が方便品で「仏はこれまで四十余年の長い間、方便の説法をしてきたが、今からまさしく真実の教えを説かれるであろう」とおっしゃった御舌と、多宝如来が見宝塔品で「妙法蓮華経はすべて真実である」と証明なさった御舌と、四百億那由他という彭大な十方の諸国に、麻のように・稲のように・星のように・竹のように続々と連なっていらっしゃる諸仏が、神力品で広長舌を大梵天宮にまで届かせて法華経の真実であることを絶讃なさったその御舌などが、みな、死んでくさった鯨のように、群らがりくさった鰯のように、一時に朽ちくさって、全宇宙の仏たちが大妄語の罪に落とされ、仏の住む常寂光の浄土の黄金の大地がバッと破れて、提婆達多のように無間地獄にドッと陥り、あるいは法(宝)蓮香比丘尼のように、身体から大妄語の猛炎がパッと燃え上がって実報蓮華蔵世界の花の園にたちまち灰燼の地となってしまうでしょう。——どうしてそのようなことがあり得ましょうか、あるはずのないことです。故阿仏房一人を寂光の浄土にお迎えすることができないとするならば、諸仏は地獄に落ちて大苦におあいになるでしょう。落ち着いてよくよく観察してごらんなさい。仏のいうところが真実であるか虚偽であるかは、阿仏房が成仏するかしないかによって判定できることなのです。
[7]さてさて、家屋でいうならば、男は柱のようなもので、女は桁のようなものです。身体でいうならば、男は足のようなもので、女は胴体のようなものです。鳥でいうならば、男は羽のようなもので、女は体のようなものです。羽と体とが別々になってしまったら、どうして飛ぶことができましょうか。柱が倒れたら、桁は地に落ちて家屋は壊れてしまうでしょう。家庭に男主人がいないと、人の魂が抜けてしまったようなもので頼りないでしょう。社会的な権利義務に関することを誰に相談したらいいのでしょうか。おいしいものを誰に食べさせたらよいのでしょう。男主人とは一日か二日会わなくても不安がつのることでしょうに、あなたは、去年の三月二十一日に阿仏房殿に先立たれて、去年一年間待ち暮らしたのにお会いできませんでした。そして今年もすでに七か月を経過してしまいました。たとえ阿仏房殿ご自身が来られなかったとしても、どうして連絡だけでもしてこないのでしょうか。去年散った桜が今年も咲きました。去年落ちた果実が今年も生りました。春風は去年と変わらずやさしく吹き、秋の景色も去年と同じように心にしみます。自然はそのように巡りくるというのに、どうして阿仏房殿の生命だけが消え去っていって、もとに戻ることがないのでしょうか。月は入ってもまた出ますし、雲は行ってもまたきます。それなのに人は死んだらもう帰ってこないということこそ、天も恨めしく、地も歎かわしいことです。ご夫君との永別を体験なさったあなたは、とくにそのようにお思いになることでしょう。急ぎ急ぎ、法華経を旅の食糧とお頼りして、霊山浄土へいらっしゃって、阿仏房殿にお会いなさるようになさいませ。
[8]そもそも、子は敵であると説く経文があります。心地観経の「世の人は、子のために多くの罪を造り、三悪道に落ちて長く苦しみを受ける」というのがそれです。鵰や鷲という鳥は、親は慈悲の心で子を養うのに、育った子はかえって親を食物とします。梟鳥という鳥は、生まれると必ず母を食います。畜生というのはこのようなものです。人の中にも畜生と同じようなものがいて、インドでは、玻瑠璃王はむりやりに父波斯匿王の位を奪い取りました。阿闍世王は父の頻婆沙羅王を殺しました。中国では、安禄山は養母の楊貴妃を殺し、その子の安慶緒という人は父の安禄山を殺しました。当の安慶緒は子の史師明に殺されました。その史子明はまた史朝義という子に殺されています。これでは、子は敵であるというのも当然です。釈尊の関係者でも、前生でのお子さんである善星比丘は苦得外道と示しあわせて、たびたび父の釈尊を殺そうとしました。
[9]また反対に、子は財宝であるという経文もあります。心地観経に「その男女が追善供養を修すると大光明が輝き出して地獄を照らし、その父母に信仰心を起こさせて仏の世界に導く」とあるようにです。いや仏説にまで及ばなくても、まぢかにその例を見ることができます。インドに安足王という大王がいましたが、この王はあまりに馬を愛好して飼っているうちに、やがては飼い馴らして駄馬を俊馬に育てるばかりでなく、牛を馬に変えることもしました。そして遂には人を馬としてお乗りになりました。その国の人民がそれをあまりに歎き悲しんだので、王は、知らない他国の人を馬としました。ある時、他国の商人が安足王の国に行ったところ、王は薬を使って馬とし、馬屋につなぎました。馬とされた商人は、何としても故国が恋しい上、とくに妻子のことが慕われてどうしようもなかったのですが、王が許可を与えないので帰ることができませんでした。またもし、たとえ帰れたとしたところで、そのような馬の姿のままではどうしようもないでしょう。ただ明けても暮れても歎くことばかりしていたうちに、故国では、一人いた子が、父の帰国予定日が過ぎたので「誰かに殺されたのであろうか。あるいは病気で動けなくなってるのであろうか。子の身としてどうして父を尋ねないでいられようか」と、旅の仕度を始めたものですから、母は歎いて、「夫は他国へ行って帰ってきません。たった一人しかいない子が私を置き去りにして行ってしまったならば、どうしたらよいのでしょう」と悲しみ止めたのですが、子は、父があまりに恋しかったので安足国まで尋ねて行きました。そして、ある小さな家に宿をかりたところ、その家の主人が「ああ気の毒なことだ。あなたはまだ幼い。しかも人並すぐれて可愛いらしい。私には一人の子がいたけれど、他の国へ行ったまま戻って来ません。死んでしまったのだろうか。いったいどうしているのだろう。あの子のことを思うと、あなたを見てかわいそうで胸がいっぱいになります。なぜかというと、この国にはとても歎かわしいことがあるのです。それは、この国の大王があまりに馬を愛好なさって、不思議な薬草を使用していることです。その薬草の細い葉をくわせると人が馬になります。広い葉をくわせると馬が人になります。近ごろも、他国の商人がいましたのを、王がその薬草をくわせて馬とし、第一の御馬屋におつなぎになって秘蔵のものとしています」といいました。この子はそれを聞いて、「それでは、父は馬となってしまったのだ」と思って質問しました。「その馬の毛は何色ですか」と。家主は答えて「栗毛の馬で、肩に白いまだらがあります」といいました。子はそれを心に止め、あれこれと工作をして王宮に入り、葉の広い薬草を盗みとって、馬とされた父に食わせたところ、もとのように人となりました。このことを知った大王は、思いもよらないことが起こったものだと事のなりゆきを尋ね、子の孝行な気持ちと行ないに感動して父を返し、それより後は遂に人を馬とすることをお止めになりました。この話では、子の親を思う心情と行動とが父ばかりでなく多くの人々の不幸を救ったことになるのですが、ほんとうに子でなかったならば、どうして危険な他国へまで父を探しに行くことなどありましょうか。また、目連尊者は餓鬼道に落ちた母の苦しみを救い、浄蔵・浄眼兄弟は父妙荘厳王の邪見を改めさせました。これらは、良い子が親の財宝となるということを示す例です。
[10]話をご夫君の聖霊のことに戻しますが、故阿仏房殿は、日本国は北海の島の夷の身分のものでありましたけれど、死んでから悪道に落ちることを恐れて出家し、念仏して極楽往生を願っていましたが、流人として御地に赴いた私に会って法華経の信仰を持ち、去年の春、亡くなって仏になられました。それは、あたかも、尸陀山の狐が、仏法にめぐりあって生を厭い死を願って帝釈天と生まれ変わったようなものです。阿仏上人は濁った現世の身を厭って仏におなりになったのです。その子の藤九郎守綱は父の遺志を継いで熱心な法華経の行者となって、去年は七月二日、父の遺骨を首にかけ、一千里の山を越え海を渡って甲州波木井の身延山に登り、法華経の道場に納骨を済ませ、今年はまた七月一日、身延山に登って慈父の墓を拝みました。子ほどすばらしい財宝はありません。子よりも秀れた財宝はありません。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。
[11]<日>七月二日日>
[12]<人>日 蓮 <花押>花押花押>人>
[13]<先>故阿仏房尼御前御返事先>
[14]追伸
[15]絹染の袈裟を一領さしあげます。豊後房にお伝えください。「すでに私の説く法門が日本国に広まってきました。北陸道方面は豊後房が布教しなければならないわけですが、学問のある者でなければ不可能なことです。九月十五日以前に大急ぎで身延山へいらっしゃい」と。
[16]数々の聖教を、日記に書いたように丹波房に大急ぎで渡しなさい。山伏房を、私がいった通りに身延山へよこしなさい。山伏房をあわれんで扱ってくださったことをとても悦んでいます。