光日上人御返事
書下し
光日上人御返事
[1]法華経二の巻に云はく、「その人命終して阿鼻獄に入らん」云云。阿鼻地獄と申すは天竺の言、唐土日本には無間と申す。無間はひまなしとかけり。一百三十六の地獄の中に、一百三十五はひま候ふ。十二時の中にあつ(熱)けれども、またすず(涼)しき事もあり。た(堪)へがたけれども、またゆるくなる時もあり。この無間地獄と申すは十二時に一時かた時も大苦ならざる事はなし。故に無間地獄と申す。
[2]この地獄はこの我等が居て候ふ大地の底、二万由旬をすぎて最下の処なり。これ世間の法にも、かろ(軽)き物は上に、重き物は下にあり。大地の上には水あり。地よりも水かろし。水の上には火あり。水よりも火かろし。火の上に風あり。火よりも風かろし。風の上に空あり。風よりも空かろし。
[3]人をもこの四大をもつて造れり。悪人は風と火とまづ去り、地と水と留まる。故に人死して後、重きは地獄へ堕つる相なり。善人は地と水とまづ去り、重き物は去りぬ。軽き風と火と留まる故に軽し。人天へ生まるる相なり。
[4]地獄の相、重きが中の重きは無間地獄の相なり。かの無間地獄は縦横二万由旬なり。八方は八万由旬なり。かの地獄に堕つる人々は一人の身大にして八万由旬なり。多人もまたかくのごとし。身のやはらかなる事綿のごとし。火のこわ(強)き事は大風の焼亡のごとし。鉄の火のごとし。詮を取つて申さば、我身より火の出づる事十三あり。二の火あり、足より出でて頂きをとをる。また二の火あり。頂きより出でて足をとほる。また二の火あり。背より入りて胸に出づ。また二つの火あり。胸より入りて背へ出づ。また二の火あり。左の脇より入りて右の脇へ出づ。また二の火あり。右の脇より入りて左の脇へ出づ。また一の火あり。首より下に向かひて雲の山を巻くがごとくして下る。この地獄の罪人の身は枯れたる草を焼くがごとし。東西南北に走れども逃げ去る所なし。他の苦はしばらくこれを置く。大火の一苦なり。この大地獄の大苦を仏くはしく説き給ふならば、我等衆生聞きて皆死すべし。故に仏くはしくは説き給ふ事なしと見えて候ふ。
[5]今日本国の四十五億八万九千六百五十八人の人々は皆この地獄へ堕ちさせ給ふべし。されども一人として堕つべしとはおぼさず。例せばこの弘安四年五月以前には、日本の上下万人一人も蒙古の責めにあふべしともおぼさざりしを、日本国にただ日蓮一人ばかりかかる事この国に出来すべしとしる。「その時日本国四十五億八万九千六百五十八人の一切衆生、一人もなく他国に責められさせ給ひて、その大苦は譬へばほうろく(焙烙)と申す釜に水を入れて、ざつこ(雑魚)と申す小魚をあまた入れて、枯れたるしば(柴)木をたかむがごとくなるべし」と申せば「あらおそろしいまいまし、打ちはれ、所を追へ、流せ、殺せ、信ぜん人々をば田はたをとれ、財を奪へ、所領をめせ」と申せしかども、この五月よりは大蒙古の責めにあひて、あきれ迷ふ程に、「さもや」と思ふ人々もあるやらん。にがにがしうしてせめたくはなけれども、有る事なればあたりたり、あたりたり。日蓮が申せし事はあたりたり。ばけ(化)物のもの申すようにこそ候ふめれ。
[6]去ぬる承久の合戦に隠岐の法皇の御前にして、京の二位殿なんどと申せし何もしらぬ女房等の集まりて、王を勧め奉り、戦を起こして、義時に責められ、あはて給ひしがごとし。
[7]今御覧ぜよ。法華経誹謗の科と云ひ、日蓮をいやしみし罰と申し、経と仏と僧との三宝誹謗の大科によて、現生にはこの国に修羅道を移し、後生には無間地獄へ行き給ふべし。このまたひとへに弘法・慈覚・智証等の三大師の法華経誹謗の科と、達磨・善導・律僧等の一乗誹謗の科と、これらの人々を結構せさせ給ふ国主の科と、国を思ひ生処を忍びてかねて勘へ告げ示すを用ひずしてかえりて怨をなす大科、先例を思へば、呉王夫差の伍子胥が諫を用ひずして、越王勾践にほろぼされ、殷の紂王が比干が言をあなづりて周の武王に責められしがごとし。
[8]しかるに光日尼御前はいかなる宿習にて法華経をば御信用ありけるぞ。また故弥四郎殿が信じて候ひしかば子の勤めか。この功徳空しからざれば、子とともに霊山浄土へ参り合はせ給はん事、疑ひなかるべし。
[9]烏龍と云ひし者は法華経を謗じて地獄に堕ちたりしかども、その子に遺龍と云ひし者、法華経を書きて供養せしかば、親、仏に成り、また妙荘厳王は悪王なりしかども、御子の浄蔵・浄眼に導かれて、娑羅樹王仏と成らせ給ふ。
[10]その故は子の肉は母の肉、母の骨は子の骨なり。松栄えれば柏悦ぶ。芝かるれば蘭なく、情無き草木すら友の喜び友の嘆き一つなり。いかにいわんや親と子との契り、胎内に宿して、九月を経て生み落とし、数年まで養ひき。彼ににな(荷)はれ、彼にとぶら(弔)はれんと思ひしに、彼をとぶらふうらめしさ、後、いかがあらんと思ふこころぐるしさ、いかにせん、いかにせん。
[11]子を思ふ金鳥は火の中に入りにき。子を思ひし貧女は恒河に沈みき。かの金鳥は今の弥勒菩薩なり。かの河に沈みし女人は大梵天王と生まれ給ふ。いかにいわんや今の光日上人は子を思ふあまりに、法華経の行者と成り給ふ。母と子とともに霊山浄土へ参り給ふべし。その時御対面いかにうれしかるべき。いかにうれしかるべき。
[12]<日>八月八日日>
[13]<先>光日上人御返事先>
現代語訳
光日上人御返事
弘安四年(一二八一)八月八日、六〇歳、於身延、和文、定一八七六—一八八〇頁。
[1]法華経第二巻の譬喩品に「(法華経の行者を軽賤憎嫉して結恨を懐く者は)その人、命終して阿鼻獄に落ちるであろう」とあります。阿鼻地獄というのはインドの言葉で、中国や日本では無間地獄といいます。<傍>無間傍>とは<傍>ひまなし傍>という意味です。大小の地獄の総数は百三十六ですが、その中の百三十五は、苦しみに<傍>ひま傍>があります。それらの地獄は、一日二十四時間の、ほとんどは熱いのですが、たまに凉しいこともあります。たえがたいことが多いのですが、息の抜ける時もあるのです。ところがこの無間地獄というのは、一日中、一時・片時も大苦に責められないことがありません。苦しみに<傍>ひま傍>がないから無間地獄というのです。
[2]この地獄は、私たちが住んでいる大地の底、二万由旬を経て一番下の地底にあります。この世の中の法則でも、軽いものは上に浮き、重いものは下に沈むでしょう。たとえば、大地が下で、その上に水があります。地よりも水が軽いからです。水の上には火があります。水よりも火が軽いからです。火の上に風があります。火よりも風が軽いからです。風の上に空があります。風よりも空が軽いからです。
[3]地・水・火・風・空を五大といい、そのうちの実体のない空を除いて、地・水・火・風を四大といいますが、人間もこの四大で造られています。人が死ぬと、悪人の場合は、風と火とがまずなくなって、地と水とが残ります。だからその人は重いので地獄へ落ちるのです。善人の場合は、地と水という重いものがまずなくなります。軽い風と火とが残るのでその人は人間界や天界に生まれる相となるのです。
[4]地獄の相で、重いが中にも重いのは無間地獄の相です。あの無間地獄は縦横が二万由旬あります。四方と四維の八方は八万由旬です。この地獄に落ちる人は、一人の身体が大きくなって八万由旬になります。たいていの人がそうなるのです。体がやわらかなことは綿のようになります。火が燃えさかるありさまは大風が吹く中での火事のようであり、また赤熱した鉄丸のようです。要約していうならば、無間地獄では猛火の責めにあうわけですが、私たちの体の中で火が燃える道筋は十三あります。二つの火があって、足から出て頭に抜けます。また、二つの火があって、頭から出て足に抜けます。また、二つの火があって、背から入って胸に出ます。また、二つの火があって、胸から入って背に出ます。それからまた、二つの火があって、左の脇から入って右の脇へ出ます。また、二つの火があって、右の脇から入って左の脇へ出ます。そして、残る一つの火は、首から下に向かって、雲が山をめぐるようにして下っていくのです。この地獄に落ちた罪人の体は、枯れた草を焼くようにめらめらと燃えます。東西南北に駆けまわっても逃げ場はありません。他にもいろいろな苦しみがあるのですが、それらは置いて、とりあえず火による苦しみの一つだけを説明しました。この大地獄の大苦を仏がくわしくお説きになったならば、私たちは聞いただけでみんな衝撃死してしまうことでしょう。だから仏は、そのことについてはくわしくお説きになっていないのだと思われます。
[5]今の日本国の四百五十八万九千六百五十八人の人々は、みんな無間地獄に落ちるでしょう。しかし、それを自覚している人はまったくいません。それはたとえば弘安四年(一二八一)五月以前の日本国のようなもので、上下万人誰一人として蒙古の侵攻があるなどとは想像もつかず、ただ私だけが、こういう国家的な大事変が起きるであろうと予知していたのです。そこで私が「外国が攻めてきた時には、日本国の四百五十八万九千六百五十八人全員が、一人残らず酷い目にあい、のたうちまわって苦しむだろうが、その様子は、たとえば焙烙という釜に水を入れ、そこに雑魚という小魚をたくさん入れて、よく燃える枯れた柴の木で煮るようなものだ」と警告すると、みなは「ああ恐ろしい、不吉なことをいう奴だ、打擲せよ、追放せよ、流刑にせよ、死刑にせよ、日蓮のいうことを信じる者どもからは田畠を取り上げよ、財産を奪い取れ、所領を没収せよ」と騒いでいたのですが、今年の五月からは大蒙古の侵攻にあい、茫然として良い方策が打ち立てられないにつけても、「ことによると日蓮は正しいことをいっているのかも知れない」と思う人々も出てきたようです。あまりに自慢話めくので追い討ちをかけるようなことはいいたくないのですが、事実は事実として認めなければいけません。確かに当たったのです。私が予言したことは的中したのです。思えばわれながら不思議で、人間離れをした見通しでした。
[6]それにしても国主が先見の明を持たないと世の中が混乱します。たとえば、先年の承久の乱のおりには、後鳥羽上皇の御前で、京の二位殿などといった何も知らない女房たちが集まって、上皇を唆し申し上げた結果、上皇がそれに乗せられて戦争を起こし、北条義時に攻められて敗北に憂き目をご覧になりました。
[7]いまにご覧なさい。法華経を誹謗した科とか、私を卑しんだ罰とか、要するに、経と仏と僧との三宝を誹謗した大罪科によって、国主は、現世ではこの国に修羅道を招き入れ、後生にはご自分が無間地獄へお落ちになることでしょう。これは、ただただ、弘法・慈覚・智証ら密教を尊重する三大師の法華経誹謗の科と、達摩・善導といった禅・浄土の僧や律僧らによる一乗経誹謗の科と、これらの僧たちを重く登用なさる国主の科と、さらには、国を思い故郷を忍んでその安泰のためにと考えた私の警告を無視して、かえって迫害する大科によるものですが、これらの罪科に対する悪報の酷さは、その先例を思えば、呉王夫差が伍子胥の諫めを用いないで越王匂践に亡ぼされ、殷の紂王が比干の言葉を侮って周の武王に攻められたようなものです。
[8]世間一般が法華経にそむく中で、あなたはどういう宿縁によって法華経を信仰なさったのでしょうか。あるいは、ご子息の故弥四郎殿が信じていらっしゃったので、その勧めによるのでしょうか。法華経信仰の功徳は甚大であるので、来世には霊山浄土へ参詣してご子息とお会いになることは疑いないでしょう。
[9]昔、中国の烏竜という書家は、法華経を誹謗して地獄に落ちましたが、子の遺竜が親の遺言を破って法華経の書写供養をしたので、烏竜は成仏しました。また妙荘厳王はバラモン教を信じていましたが、子の浄蔵・浄眼の教化により法華経を修行して娑羅樹王仏となられました。子の法華経信仰によって親が成仏した例は少なくないのです。
[10]とくに母親の場合はいっそうなのですが、なぜそのようなことになるかというと、子の肉は母の肉、母の骨は子の骨で、母と子とは切っても切れない縁があるのです。たとえば、松が繁れば仲間の柏は喜ぶし、芝が枯れると仲間の蘭が泣くといわれます。心のない草木でさえも、仲間の喜びや歎きは一つものなのです。まして、母と子の関係は特別で、母は子を胎内に宿して九か月を経て産み落とし、何年間も養育するのですから、その愛情の深まりはとても言葉に出していえるようなものではありません。そうして子を育て上げた母は、死んだら子に棺を担われ、子の手で葬ってもらいたいと思うものですが、もし子に先立たれたとしたらどうでしょうか。子の葬式を出す恨めしさ、その後の生活に対する不安、どうしよう、どうしようと歎くでしょう。あなたは、まさにこのような立場にいらっしゃるのですね。
[11]経典には、子を思う雉が野火にあっても卵を抱き続けて焼け死んだことや、子を思う貧しい女が激流にのまれても抱いた子を離さなかったことが見えています。あの時の雉は今の弥勒菩薩です。河に沈んだ貧女は大梵天王としてお生まれになりました。ましてあなたは、子を思うあまりに、法華経の行者光日上人となられました。母子ともに霊山浄土へおいでになるにきまっています。その時のご対面は、どんなに嬉しいことでしょうか。どれほど喜ばしいことでしょうか。
[12]<日>八月八日日>
[13]<先>光日上人御返事先>