日妙聖人御書
書下し
日妙聖人御書
[1]過去に楽法梵志と申す者ありき。十二年の間、多くの国をめぐりて如来の教法を求む。時に総じて仏法僧の三宝一もなし。この梵志の意は渇して水をもとめ、飢えて食をもとむるがごとく、仏法を尋ね給ひき。時に婆羅門あり、求めて云はく、「我聖教を一偈持てり。もし実に仏法を願はばまさにあたふべし」梵志答へて云はく「しかなり」婆羅門の云はく、「実に志あらば皮をはいで紙とし、骨をくだいて筆とし、髄をくだいて墨とし、血をいだして水として書かん、と云はば仏の偈を説かん」時にこの梵志悦びをなして彼が申すごとくして、皮をはいでほして紙とし、ないし一言をもたがへず。時に婆羅門忽然として失せぬ。この梵志天にあふぎ、地にふす。仏陀これを感じて下方より涌き出でて説きて云はく「如法応修行。非法不応行。今世若後世。行法者安穏。=〔如法はまさに修行すべし、非法は行ずべからず、今世もしや後世、法を行ずる者は安穏なり〕」等云云。この梵志須臾に仏になる。これは二十字なり。
[2]昔、釈迦菩薩転輪王たりし時、「夫生輙死。比滅為楽。=〔それ生まれてすなわち死す、この滅を楽となす〕」の八字を尊び給ふ故に、身をかへて千燈にともして、この八字を供養し給ひ、人をすすめて石壁要路にかきつけて、見る人をして菩提心をおこさしむ。ここ光明忉利天に至る。天の帝釈並びに諸天の燈となり給ひき。
[3]昔、釈迦菩薩仏法を求め給ひき。癩人あり。この人にむかつて「我正法を持てり。その字二十なり。我癩病をさすり、いだき、ねぶり、日に両三片の肉をあたへば説くべし」と云ふ。彼が申すごとくして、二十字を得て仏になり給ふ。いわゆる「如来証涅槃。永断於生死。若有至心聴。当得無量楽。=〔如来は涅槃を証し、永く生死を断じたまふ、もし至心に聴くこと有らば、まさに無量の楽をうべし〕」等云云。
[4]昔雪山童子と申す人ありき。雪山と申す山にして、外道の法を通達せしかども、いまだ仏法をきかず。時に大鬼神ありき。説きて云はく「諸行無常。是生滅法。=〔諸行は無常なり、これ生滅の法〕」等云云。ただ八字ばかりを説きて後をとかず。時に雪山童子この八字をえて悦びきわまりなけれども、半ばなる如意珠をえたるがごとく、花さきて菓ならざるににたり、「残の八字をきかん」と申す時、大鬼神云はく「我数日が間飢饉して正念を乱る。ゆへに後八字をときがたし。食をあたえよ」と云云。
[5]時に童子問いて云はく「なにをか食とする」
[6]鬼答えて云はく「我は人のあたたかなる血肉なり。我飛行自在にして、須臾の間四天下を回りたづぬれども、あたたかなる血肉得がたし。人をば天まほり給ふゆへにとがなければ殺害する事かたし」等云云。
[7]童子の云はく「我身を布施としてかの八字を習ひ伝へん」と云云。
[8]鬼神云はく「智慧甚だ賢し。我をやすかさんずらん。」
[9]童子答へて云はく「瓦礫に金銀をかへんにこれをかえざるべしや。我つぶさにこの山にして死しなば、鴟鳧虎狼に食はれて、一分の功徳なかるべし。後の八字にかえなば糞を飯にかふるがごとし。」
[10]鬼云はく「我いまだ信ぜず。」
[11]童子云はく「証人あり。過去の仏もたて給ひし大梵天王・釈提桓因・日・月・四天も証人にたち給ふべし。
[12]この鬼神後の偈をとかんと申す。童子身にきたる鹿の皮をぬいで座にしき、踞跪合掌してこの座につき給へと請す。大鬼神この座について説きて云はく「生滅滅已。寂滅為楽。=〔生滅、滅し已れば、寂滅も楽となる〕」等云云。
[13]この偈を習ひ学して、もしは木もしは石等に書き付けて、身を大鬼神の口になげいれ給ふ。かの童子は今の釈尊、かの鬼神は今の帝釈なり。
[14]薬王菩薩は法華経の御前に臂を七万二千歳が間ともし給ひ、不軽菩薩は多年が間二十四字のゆへに無量無辺の四衆、罵詈毀辱し杖木瓦礫をもつてこれを打擲せられ給ひき。いわゆる二十四字と申す「我深敬汝等。不敢軽慢。所以者何。汝等皆行菩薩道。当得作仏。=〔我深く汝等を敬う、あえて軽慢せず、ゆえはいかん。汝等皆菩薩の道を行じてまさに作仏することをうべし〕」等云云。かの不軽菩薩は今の教主釈尊なり。昔の須頭檀王は妙法蓮華経の五字の為に、千歳が間阿私仙人にせめつかはれ身を床となさせ給ひて、今の釈尊となり給ふ。
[15]しかるに妙法蓮華経は八巻なり。八巻を読めば十六巻を読むなるべし、釈迦多宝の二仏の経なる故。十六巻は無量無辺の巻軸なり。十方の諸仏の証明ある故に。一字は二字なり。釈迦多宝の二仏の字なる故へ。一字は無量の字なり。十方の諸仏の証明の御経なる故に、譬へば如意宝珠の玉は一珠なれども二珠ないし無量珠の財をふらすことこれをなじ。法華経の文字は一字は一の宝、無量の字は無量の宝珠なり。
[16]「妙」の一字には二つの舌まします。釈迦多宝の御舌なり。この二仏の御舌は八葉の蓮華なり。この重る蓮華の上に宝珠あり。妙の一字なり。この妙の珠は昔釈迦如来の檀波羅蜜と申して、身をうえたる虎にか(飼)ひし功徳、鳩にか(貿)ひし功徳、尸羅波羅蜜と申して須陀摩王としてそらことせざりし功徳等、忍辱仙人として歌梨王に身をまかせし功徳、能施太子・尚闍梨仙人等の六度の功徳を妙の一字にをさめ給ひて、末代悪世の我等衆生に一善を修せざれども六度万行の満足する功徳をあたへ給ふ。
[17]「〔今、この三界は、皆これ我が有なり。その中の衆生はことごとくこれ吾が子これなり〕」。我等具縛の凡夫たちまちに教主釈尊と功徳ひとし。かの功徳を全体うけとる故なり。経に云はく「〔我と等しくして異なること無きがごとし〕」等云云。法華経を心得る者は釈尊と斉等なりと申す文なり。譬へば父母和合して子をうむ。子の身は全体父母の身なり。誰かこれを諍ふべき。牛王の子は牛王なり。いまだ師子王とならず。師子王の子は師子王となる。いまだ人王天王等とならず。
[18]今法華経の行者は「〔その中の衆生はことごとくこれ吾が子なり〕」と申して教主釈尊の御子なり。教主釈尊のごとく法王とならん事難かるべからず。ただし不孝の者は父母の跡をつがず。堯王には丹朱と云ふ太子あり。舜王には商均と申す王子あり。二人共に不孝の者なれば、父の王にすてられて現身に民となる。重華と禹とは共に民の子なり。孝養の心ふかかりしかば、堯舜の二王召して位をゆづり給ひき。民の身たちまちに玉体にならせ給ひき。民の現身に王となると凡夫のたちまちに仏となると同事なるべし。一念三千の肝心と申すはこれなり。
[19]しかるをいかにとしてかこの功徳をばうべきぞ。楽法梵士・雪山童子等のごとく皮をはぐべきか、身をなぐべきか。臂をやくべきか等云云。章安大師云はく「〔取捨よろしきを得て一向にすべからず〕」等これなり。正法を修して仏になる行は時によるべし。日本国に紙なくは皮をはぐべし。日本国に法華経なくて、知れる鬼神一人出来せば身をなぐべし。日本国に油なくば臂をもともすべし。あつき紙国に充満せり。皮をはいでなにかせん。
[20]しかるに玄奘は西天に法を求めて十七年、十万里にいたれり。伝教御入唐ただ二年なり、波濤三千里をへだてたり。これ等は男子なり。上古なり。賢人なり。聖人なり。いまだきかず、女人の仏法をもとめて千里の路をわけし事を。竜女が即身成仏も、摩訶波闍波提比丘尼の記莂にあづかりしも、しらず権化にやありけん。また在世のことなり。
[21]男子女人その性もとより別れたり。火はあたたかに、水はつめたし。海人は魚をとるにたくみなり。山人は鹿をとるにかしこし。女人は婬事にかしこしとこそ経文にはあかされて候へ。いまだきかず、仏法にかしこしとは。女人の心を清風に譬へたり。風はつなぐともとりがたきは女人の心なり。女人の心をば水にゑがくに譬へたり。水面には文字とどまらざるゆへなり。女人をば誑人にたとえたり。或る時は実なり、或る時虚なり。女人をば河に譬へたり。一切まがられるゆへなり。
[22]しかるに法華経は「〔正直に方便を捨てる〕」等、「〔皆これ真実なり〕」等、「〔質直にして意柔軟〕」等、「〔柔和質直なる者〕」等申して、正直なる事弓の絃のはれるごとく、墨のなは(縄)をうつがごとくなる者の信じまいらする御経なり。糞を栴檀と申すとも栴檀の香なし。妄語の者を不妄語と申すとも不妄語にはあらず。一切経は皆仏の金口の説、不妄語の御言なり。しかれども法華経に対しまいらすれば妄語のごとし。綺語のごとし、悪口のごとし、両舌のごとし。この御経こそ実語の中の実語にて候へ。
[23]実語の御経をば正直の者心得候ふなり。今実語の女人にておはすか。まさに知るべし、須弥山をいただきて大海をわたる人をば見るとも、この女人をば見るべからず。砂をむして飯となす人をば見るとも、この女人をば見るべからず。まさに知るべし、釈迦仏・多宝仏・十方分身の諸仏、上行・無辺行等の大菩薩、大梵天王・帝釈・四王等、この女人をば影の身にそうがごとくまほり給ふらん。日本第一の法華経の行者の女人なり。故に名を一つつたてまつりて不軽菩薩の義になぞらえん。日妙聖人等云云。
[24]相州鎌倉より北国佐渡の国、その中間一千余里に及べり。山海はるかにへだて山は峨峨、海は濤濤。風雨時にしたがう事なし。山賊海賊充満せり。すくすく(宿々)とまりとまり(泊々)民の心虎のごとし犬のごとし。現身に三悪道の苦をふるか。その上当世の乱世去年より謀叛の者国に充満し、今年二月十一日合戦。それより今五月のすゑいまだ世間安穏ならず。しかども一の幼子あり。あづくべき父もたのもしからず。離別すでに久し。かたがた筆も及ばず。心わきまへがたければとどめ了んぬ。
[25]文永九年〈太歳壬申〉<日>五月二十五日日>
[26]<人>日 蓮<花押>花押花押>人>
[27]<先>日妙聖人先>
現代語訳
日妙聖人御書
文永九年(一二七二)五月二五日、五一歳、於佐渡一谷、和文、定六四一—六四八頁。
[1]過去の世に楽法梵志という人がいました。十二年の間、多くの国々を遍歴して仏法を求めました。そのころは、いくら尋ねても仏・法・僧の三宝が一つもありませんでした。この梵志は、のどの渇いた者が水を飲みたがり、腹のへった人が食物をたべたがるように、心の底から仏法をお求めになりました。その時に一人の婆羅門がおり、梵志にむかっていいました。「私は一偈の聖教を知っています。もし本当に仏法を願い求めるならば伝授しましょう」と。梵志は「ぜひお願いします」と答えました。すると婆羅門は「心底から仏法を求める気持ちがあるならば、身の皮をはいで紙とし、骨を折って筆とし、髄を砕いて墨とし、血を出して水として記録しなさい。それを誓うならば仏法の偈を教えましょう」といいました。そこで梵志はおおいに喜び、皮をはいで紙とすることから始めて、ひとつ残らず実行しました。その時、婆羅門の姿は忽然として消えてしまいました。梵志は天を仰ぎ地に伏して歎き悲しみました。すると仏が、梵志の真心を認めて下の方から涌き上がり「如法応修行。非法不応行。今世若後世。行法者安穏。=(如法は必ず修行せよ。非法は決して行なってはならない。今世にせよ後世にせよ、仏法を行ずる者は安穏である)」とお説きになりました。それを聞いた梵志はたちまちにして仏になりました。梵志を成仏させた仏のお言葉はわずかに二十字であります。
[2]昔、釈迦菩薩が転輪聖王として修行中、「夫生輙死。此滅為楽。=(衆生は生まれたと思うとすぐに死んでいく。この滅を楽とする)」という八字を尊い教えであるとお思いになったので、身命を投げ捨て、千灯に点してこの八字を供養し、人を勧誘して石や壁や要路にその八字を書きつけて、見る人たちに菩提心をおこさせました。千灯の光は忉利天にまで届き、その天の主である帝釈天をはじめとする天神たちを供養する灯となりました。
[3]昔、釈迦菩薩が仏法を求めて修行なさっていました。その時、一人の癩病患者がいて、釈迦菩薩にむかって「私は正しい仏法を会得しています。それは二十字に収められています。私の癩病の局所をさすり、体を懐き、うみをなめ、日ごとに二・三斤の肉を与えてくれるならば、それを説き示しましょう」といいました。釈迦菩薩は癩病患者のいう通りにして、二十字の教えを学び成仏なさいました。その二十字というのは「如来証涅槃。永断於生死。若有至心聴。当得無量楽。=(仏は涅槃解脱の道を悟り尽くして永遠に生死の煩悩を断滅された。もし心を至してその境地を聴聞するならば、まさしく量り知れない法楽を得るであろう)」というものです。
[4]昔、インドに雪山童子という人がいました。雪山という山で外道の法を修行して悟りの境地に達しましたが、まだ仏法については知りませんでした。その時に大鬼神が現われました。そして「諸行無常。是生滅法。=(諸行は無常である。これは生・滅の法である)」と四句の偈の上二句八字だけを説いて、後の八字は口を閉じてしまいました。雪山童子は、この二句に説かれた真理を会得しただけでも非常に嬉しかったのですが、物足りない思いが残っていることは、あたかも半分欠けた如意宝珠を手にしたようであり、また、花が咲いたのに果実がならないような感じでした。そこで「下の二句を教えてください」と願い出ると、大鬼神は「私は、ここ数日のあいだ食物を口にせず、腹が減って気分が悪い。だから下二句を説くわけにいかない。もし本当に知りたいのなら、食物を用意しなさい」といいました。
[5]童子「何を食物としているのですか」。
[6]大鬼神「わしの好物は人間の温かい血肉である。わしは空を自由に飛べるので、瞬時にして世間中を翔けめぐり探し求めるのだけれども、なかなか人間の温かい血肉を得ることができない。人間を天の神々が守っているものだから、殺害しにくいのだ」
[7]童子「私の血肉を食物としてさしあげ、その下二句を習得して後の世に伝えたいと思います」
[8]鬼神「悪智恵をはたらかせたな。うそをついて、わしをだまそうとしているのであろう」
[9]童子「瓦礫と金銀とを交換することができる時に、換えない人があるでしょうか。私が、何の取り柄もなくて、この山中に死んだとするならば、ただ鴟や梟や虎や狼の餌食となるだけであって、一つも世の中の役に立ちません。もし、私の身命を、真理を説いた偈文後半の八字と交換できたとするならば、それは糞を飯と換えるように意義のあることです」
[10]鬼神「そんなことをいっても、まだまだ信用しないぞ」
[11]童子「では証人を立てましょう。過去の仏たちも証人としてお立てになった大梵天王・帝釈天・日天・月天・四天王が証人にお立ちくださるはずです。
[12]ここにいたって鬼神は下二句の偈を説こうといいました。童子は、身に着けていた鹿の皮をぬいで敷き、ひざまずきながら合掌して、そこへお坐りくださいとうながします。大鬼神はその座につき、「生滅滅已。寂滅為楽。=(生も滅も滅してしまえば、寂滅も楽となる)」と説きました。
[13]この偈を学び習った雪山童子は、あるいは木、あるいは石などにそれを書きつけて後の世に残るようにした後、大鬼神の口の中に身を投げ入れなさいました。その時の雪山童子とは今の釈尊であります。そして、あの鬼神は今の帝釈天であるのです。
[14]薬王菩薩は、七万二千年の間、両臂を燃やして法華経に供養なさいました。また不軽菩薩は、長年、わずか二十四文字のために多くの人々から罵詈しられ、辱しめられ、杖木で打たれ、瓦礫を投げつけられるなど種々の迫害をお受けになりました。その二十四文字とは「我深敬汝等。不敢軽慢。所以者何。汝等皆行菩薩道。当得作仏。=(われ深く汝らを敬う。決して軽慢しない。なぜかといえば、汝らはみな、菩薩の道を修行して、まさしく仏道を達成すべき人だからである)」というものです。あの不軽菩薩は、今の教主釈尊なのです。それからまた昔の須頭檀王は、妙法蓮華経の五字に込められた教えを求めて、千年の間、阿私仙人のもとで身を粉にして修行なさり、今の釈尊となられました。
[15]ところで妙法蓮華経は八巻あります。が、その八巻を読めば十六巻を読んだことになります。なぜなら、釈迦・多宝の二仏が、それぞれに真実であることを証明なさったお経だからです。また法華経が十六巻だといっても、それは無限に多い巻数にほかなりません。なぜなら、十方世界の無数の仏たちが証明されたお経だからです。もう一度いいましょう。法華経の一字は二字分の価値があります。なぜなら釈迦と多宝の二仏によってその正しさが証明された文字だからです。いやそれだけではありません。またその一字は無数の字だといえます。なぜなら法華経は数限りない十方世界の仏たちによって保証された真実のお経だからなのです。それはたとえば、如意宝珠はただ一個の玉ですけれども、二個・三個と無数の宝珠を作り出していくのと同じことです。つまり、法華経の文字は、ただの字ではなくて、一字が一個の宝珠であり、またそれは無数の字、すなわち無数の宝珠であるのです。
[16]「妙」の一字には二枚の舌による御証明がなされています。その二枚の御舌とは釈迦如来と多宝如来のものです。この二仏の御舌は八葉の蓮華であります。その重なった蓮華の上に宝珠があります。それが「妙」の一字なのです。この妙という宝珠は、昔、釈迦如来が、檀(布施)波羅蜜といって、肉体を飢えた虎に与えた功徳や、鷹に追われた鳩にかわって身を捧げた功徳、また尸羅(持戒)波羅蜜といって、須陀摩王として嘘をつかなかった功徳、あるいはまた忍辱仙人として歌(迦・訶)梨王に両手足を切られても耐えしのんだ忍辱波羅蜜の功徳、それから能施太子が精進波羅蜜を修して得た如意宝珠で人々の衣服の窮乏を救った功徳、そして尚闍梨仙人が虫けらにまで慈悲を及ぼしていたという禅波羅蜜の功徳など、六度(六波羅蜜)の功徳を全部納めつくしていらっしゃる字で、末法・濁悪の代に生を受けた愚かな私たちが、たった一つの善い行ないさえしなくても、六度をすべて修行したのと同じ功徳をお与えくださるのです。
[17]法華経の譬喩品に、仏のお言葉として「今、この三界はみな私の領有するところである。その中の生きとし生ける者は、ことごとく私の愛しい子である」とありますように、私たち煩悩だらけの凡夫も、妙法を信じ持てば、たちまちに教主釈尊と功徳が同じになります。なぜなら釈尊の功徳をそっくりそのまま納受することになるからなのです。法華経の方便品にも「私と同等であって異なるところがまったくない」とありますが、それは、法華経を受持する者の功徳は釈尊とまったく同じであるという文です。たとえば夫婦が睦びあって子を生みます。その子の体は父母の分身であって少しも他人の要素は入っていません。誰もこの事実を否定することはできないでしょう。たとえば、牛王の子は牛王です。決して獅子王とはなりません。また獅子王の子は獅子王となります。決して人王や天王などにはならないのです。
[18]さて法華経の行者は、譬喩品に「三界の中の生きとし生ける者は、ことごとく私の愛しい子である」と証言されている通り、教主釈尊の御子です。だから教主釈尊のように法王となるのは困難なことではありません。ただし、親不孝の者は父母の跡を継ぎません。たとえば堯王には丹朱という太子がありましたし、舜王には商均という王子がありましたが、二人とも不孝者であったので父の王に見放されてそのまま平民階級に身を置くことになりました。反対に、重華と禹とは二人とも平民の子だったのですが、親孝行の心が深かったので、堯王・舜王の二王が召し寄せて王位をお譲りになりました。平民の身がたちまちにして玉体とおなりになったのです。このように、民がその身のままで王となることと、凡夫がたちまちにして即身成仏することとは同類のことです。一念三千の肝心というのはこのことにほかなりません。
[19]さてそれでは、どのようにしたらこの功徳を得ることができるのでしょうか。楽法梵士や雪山童子や薬王菩薩らのように、皮をはいで経文を記す紙にしたり、身を投げて飢えた虎に与えたり、臂を灯して法華経に供養したりしなければならないのでしょうか。このような疑問に関して章安大師は涅槃経疏に「取捨を適宜に行なって、偏向してはならない」と、このように答えています。正しい仏法を修めて仏になる行法は、時に応じてなされなければなりません。日本国に紙がなかったならば皮をはぐのがよいでしょう。日本国中が法華経に無知で、ただ一人それを知っているという鬼神が出現したならば身を投げ与えるのも当然でしょう。日本国に油がないというのなら臂を燃やさなければならないでしょう。ところが、日本には厚い立派な紙がたくさんあります。そのような状態のところで皮をはいでも何の意味もありません。同じように、身を投げることも、臂を燃やすことも、今の日本では無意味なことです。では、どのような行法によって妙法の功徳が得られるのでしょうか。
[20]昔、中国の玄奘三蔵は仏法を求めてインドに旅をすること十七年、距離は十万里に及びました。日本の伝教大師の入唐求法は、年限はわずか二年でしたが三千里の波濤を分けてのことでした。これらの難行苦行を成し遂げたのは強い男性でした。また時代は濁りの少ない古代のことでした。そして賢人と仰がれ聖人と讃えられる人の行ないでした。私はまだ聞いたことがありません、あなたのように女性が仏法を求めて千里の路を踏み分けて行ったということを。女性といえば法華経の提婆達多品に竜の乙女が即身成仏をしたことが見え、また勧持品では釈尊の叔母である摩訶波闍波提比丘尼が将来成仏することを仏から保証されています。しかし、これらの女性は、仏が人々を救い導くために、女性に変身して出現なさったのかも知れません。また時代的には釈尊が生きていらっしゃった遠い昔の話であって、あなたの行ないと比べることはできません。
[21]男性と女性とは基本的に違った性質を持っています。火は熱く、水は冷たいようにです。猟と漁との例をみても、女性である海人は海で魚を捕るのがうまく、男性である山人は野山で鹿を狩るのが上手なのであって、男女の違いはあらゆるところに見られます。では女性の特徴はどういうところにあるのでしょうか。一つには、女性は淫らなことが好きだと経文に記されています。女性が仏法を好むなどといったことは夢にも聞いたことがありません。また女性の心を空吹く風にかこつけたいい方もされています。風の状態は何とか感じとることができるけれども、女性の心だけは把えようがないというわけです。同じように、女性の心は水に字を書くようなものだともいわれています。水面の字はすぐに消えてなくなってしまうからです。あるいはまた女性は人をあざむきまどわすものだともされています。真剣に思いつめたかと思うと、たちまち冷めてしまったりするからです。それから女性は川にたとえられています。まっすぐになることのない曲がりくねった性格の持ち主だというのです。
[22]ところで話は変わるようですが、法華経は、「仏は正直に方便を捨てて、ただ無上道を説く」とか、「釈迦牟尼世尊のお説きになったことは、みな、すべて真実である」とか、「質直で、意を柔和にして、心から仏にお会いすることを願い、自ら身命を惜しまない者の前に私は姿を現わす」とか、「柔和質直に信仰する者は、いながらにしてみな、私と会うことができる」などと説かれている通りのお経であって、たとえば弓の絃がピンと張っているように、あるいは墨縄の糸をパシッと打ったように、まっすぐで濁りのない求道の人が信じ申し上げる経典なのです。たとえば、糞を栴檀だと偽っても芳香が漂うことはありません。また嘘つきの者を正直者だといっても嘘をつかなくなるわけではありません。そのように虚偽は結局暴露するものですが、一切経はみな仏ご自身のお口で説かれたもので絶対に真実の教えです。ところが、その一切経でさえも法華経と比較すると、嘘のようなものです。虚飾のことばのようなものです。悪口のようなものです。二枚舌を使った意見のようなものです。この法華経こそが真実の中でも真実の教えなのです。
[23]仏の真実のおことばである法華経を信仰なさるのは、正しく直き心の方でいらっしゃいます。まさにあなたは、その仏の真実のおことばを信じる女性でいらっしゃるということでしょう。確かに云えることは、須弥山を抱いて大海を歩き渡る人を見つけることができたとしても、前記のような女性を発見することは困難だということです。あるいは砂を蒸して米飯を作り上げる人を見つけることができたとしても、前記のような女性を発見することは困難であるのです。そしてまた確かにいえることは、釈迦如来・多宝如来・十方世界の無数の浄土にいらっしゃる分身の諸仏、また上行菩薩や無辺行菩薩などの大菩薩、それから大梵天王・帝釈天・四天王らの尊者たちが力を合わせて、前記の女性を、影の身に添うようにお護りくださるに違いないということです。そのような意味で、まさにあなたは日本第一の法華経の行者の女性であります。そこで法名をひとつおつけ申し上げて、常不軽菩薩が人々の未来成仏を保証なさった故事の跡を踏むことにいたしましょう。法名を「日妙聖人」と号します。
[24]あなたが相州鎌倉からわざわざ訪れてくださったここ北国佐渡の国までは、その間一千余里に及びます。山・海をはるかに隔てており、山は峨々としてそびえ、海は濤々として高鳴り、風雨が時を定めず襲いかかり、山賊や海賊がのさばりまわっています。宿泊を重ねた所々の人の心は、虎のように犬のように恐しいものです。生身のままで三悪道の苦しみを経験したように思われます。その上、今は世が乱れて、去年から謀叛者が国に満ちあふれ、今年の二月十一日に合戦があって、それから現在五月の末まで世間は不安な状態が続いています。そうだというのに、あなたは一人の幼な子をかかえており、その子を養育するはずの父親はいません。離別してからもうずいぶん久しいですね。それらのことを思えば、お気の毒で筆を進めることもできなくなります。胸がつまって考えがまとまりませんので、これで止めます。ごめん下さい。
[25]文永九年〈太歳壬申〉<日>五月二十五日日>
[26]<人>日 蓮 <花押>花押花押>人>
[27]<先>日妙聖人先>