富木尼御前御書
書下し
富木尼御前御書
[1]鵞目一貫並びにつつ(筒)ひとつ給ひ候ひ了んぬ。
[2]やのはしる事は弓のちから、くものゆくことはりう(竜)のちから、をとこのしわざは女のちからなり。いまときどののこれへ御わたりある事、尼ごぜんの御力なり。
[3]けぶりをみれば火をみる、あめ(雨)をみればりう(竜)をみる。をとこを見れば女をみる。今ときどのにけさん(見参)つかまつれば、尼ごぜんをみたてまつるとをぼう。
[4]ときどのの御物がたり候ふは、「このはわ(母)のなげきのなかに、りんずう(臨終)のよくをはせしと、尼がよくあたり、かんびやうせし事のうれしさ。いつのよ(世)にわするべしともをぼへず」と、よろこばれ候ふなり。
[5]なによりもをぼつかなき事は御所労なり。かまへてさもと三年、はじめのごとくに、きうぢ(灸治)せさせ給へ。病なき人も無常まぬがれがたし。ただしとしのはてにはあらず。法華経の行者なり。非業の死にはあるべからず。より業病にては候はじ。たとひ業病なりとも、法華経の御力たのもし。
[6]阿闍世王は法華経を持ちて四十年の命をのべ、陳臣は十五年の命をのべたり。尼ごぜんまた法華経の行者なり。御信心月のまさるがごとし、しを(潮)のみつるごとし。いかでか病も失せ、寿ものびざるべきと強盛にをぼしめし、身を持し、心に物をなげかざれ。
[7]なげき出て来る時は、ゆき(壱岐)・つしまの事、だざひふの事。
[8]かまくらの人々の天の楽のごと(如)にありしが、当時つくしへむかへば、とどまる女こ、ゆくをとこ、はなるるときはかわ(皮)をはぐがごとく、かを(顔)とかをとをとりあわせ、目と目とをあわせてなげきしが、次第にはなれて、ゆいのはま・いなぶら・こしごへ・さかわ・はこねさか(箱根坂)。一日二日すぐるほどに、あゆみあゆみとをざかるあゆみも、かわも山もへだて、雲もへだつれば、うちそうものはなみだなり、ともなうものはなげきなり。いかにかなしかるらん。かくなげかんほどに、もうこのつわものせめきたらば、山か海もいけどりか、ふねの内か、かうらい(高麗)かにてうきめにあはん。
[9]これひとへに失もなくて日本国の一切衆生の父母たる法華経の行者日蓮を、ゆへもなく、或はのり、或は打ち、或はこうぢ(街路)をわたし、ものにくるいしが、十羅刹のせめをかほりてなれる事なり。またまたこれより百千万億倍たへがたき事どもいで来るべし。かかる不思議を目の前に御らんあるぞかし。
[10]我等は仏に疑ひなしとをぼせば、なにのなげきかあるべき。きさきになりてもなにかせん、天に生まれてもようしなし。龍女があとをつぎ、摩訶波舎波提比尼丘のれち(列)につらなるべし。あらうれし、あらうれし。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と唱へさせ給ふ。恐恐謹言。
[11]<日>三月二十七日日>
[12]<人>日 蓮<花押>花押花押>人>
[13]<先>尼ごぜんへ先>
現代語訳
富木尼御前御書
建治二年(一二七六)三月二七日、五五歳、於身延、和文、定一一四七—一一四九頁。
[1]銭一貫、ならびに酒一筒お届けいただきました。お礼申し上げます。
[2]矢が飛ぶのは弓の力によるものですし、雲が行くのは竜の力によるものです。そのように、夫の行ないは妻の力によるというのが人の世の習いです。いま富木殿が、この山深い身延の里までおいでくださったことは、ひとえに妻であるあなたのお力によるものと感謝いたします。
[3]煙を見ればそれを上らせている火を見る思いがし、雨を見ればそれを降らせている竜を見る思いがします。そのように、夫の行ないを見ればそれをさせている妻を見る思いがします。いま富木殿にお目にかかりましたら、あなたとお会いしたように思われます。
[4]富木殿がお話の中で、「このたび母が亡くなった悲しみは深いけれど、臨終のありさまがよかったことと、妻が母によく尽くして看病をしてくれたことの嬉しさは、いつの世までも忘れることができない」といって喜んでいらっしゃいましたよ。
[5]さて、何よりも気がかりなのは、あなたのご病気です。きっと治るに違いないと信じて、三年間、当初のように灸治をなさってください。死というものは病気のない人でもまぬがれがたいものです。しかし、あなたは、まだそれほどの年齢ではないし、まして法華経の行者ですから、非業の死などは絶対にありません。病気の方も、まさか業病ではないでしょう。もしかりに業病だとしても、法華経の疾病平癒の威力は頼もしいものですから大丈夫です。
[6]インドの阿闍世王は、法華経を信仰して四十年間の命を延ばしましたし、中国の陳臣も同様に十五年間の命を延ばしました。あなたは法華経の行者です。ご信仰心は、月が丸くなっていくように、潮が満ちていくように、ますますさかんになっていらっしゃいます。どうして病気が消滅し寿命が延びないはずがあろうかという信念をしっかりとお持ちになって、身体をいたわり、心に苦悩がないようにしてください。
[7]もし、歎かわしいことに出会ったら、壱岐や対馬のこと、太宰府のことなどを思いやってごらんなさい。蒙古軍の来襲した現地ではどれほど大きな苦難が人々に襲いかかっていることでしょうか。
[8]鎌倉の人々は天国の楽園にいるように生活を楽しんでいましたが、いざ兵士として筑紫へ向かう段になると、留まる妻と征く夫が、離別の時には生皮を剥ぐようにつらく、顔と顔とをすり寄せ、目と目とを見交わして歎きあいますが、そうして出発した夫は、鎌倉を後にして、由比ケ浜・稲村・腰越・酒勾・箱根坂と下って行きます。一日二日と日が経ち、一歩二歩と歩み遠ざかるうちに、川を渡り山を越え、雲を隔てるようになるので、涙が頬をぬらし、歎きが胸をこがすばかり、どんなに悲しいことでしょう。こうして歎いているうちに、蒙古の軍兵が攻めてきたら、どこかの山か海かで生け捕られ、閉じ込められる船の中か、連れて行かれた高麗かでひどい目にあうことでしょう。
[9]こんな悲惨な状況に立ちいたるというのも、少しの誤りもない私、そして日本国のすべての人々を救う父母のような法華経の行者である私を、根拠もなしに、あるいは罵倒し、あるいは殴打し、あるいは犯罪者として市中を引き回すような狂気の沙汰を演じた為政者が、十羅刹女の懲罰を受けるからなのです。今後ますます、現在よりも百千万億倍も堪えがたいような事態が起こってくるでしょう。そういう、人の想像力の及びもつかないような恐ろしい光景を目の前にご覧になることになりますよ。
[10]しかし私たちは、成仏することが疑いないとお思いになれば、何を歎くことがあるでしょうか。皇后となって現世の享楽を味わっても意味はありませんし、天女と生まれて天界の悦楽にふけってもしようがないのであって、ただ仏になることだけが望ましいのです。だから女性であるあなたは、法華経の提婆達多品で成仏をした竜女の跡を継いで、摩訶波闍波提比丘尼の列に連なるようにしなさい。そうしたら何と嬉しいことでしょうか。何と喜ばしいことでしょうか。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。恐恐謹言。
[11]<日>三月二十七日日>
[12]<人>日 蓮 <花押>花押花押>人>
[13]<先>尼御前へ先>