妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

富木尼御前御書

第二巻 定本番号 20211 建治2(1276) 分類: 真蹟現存(完存orほぼ完存)

祖寿: 55 著作地: 身延 真蹟: 中山 法華経寺 

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    211   富木尼御前御書
鵞目一貫並つゝ(筒)ひとつ給候了。  やのはしる事は弓のちから、くものゆくことはりう(龍)のちから、をとこのしわざは女のちからなり。いまときどののこれへ御わたりある事、尼ごぜんの御力なり。けぶりをみれば火をみる、あめ(雨)をみればりう(龍)をみる。をとこを見れば女をみる。今ときどのにけさん(見参)つかまつれば、尼ごぜんをみたてまつるとをぼう。ときどのの御物がたり候は、このはわ(此母)のなげきのなかに、りんずう(臨終)のよくをはせしと、尼がよくあたり、かんびやうせし事のうれしさ。いつのよ(世)にわするべしともをぼへずと、よろこばれ候なり。
なによりもをぼつかなき事は御所労なり。かまへてさもと三年、はじめのごとくに、きうぢ(灸治)せさせ給へ。病なき人も無常まぬがれがたし。但としのはてにはあらず。法華経の行者なり。非業の死にはあるべからず。よも業病にては候はじ。設業病なりとも、法華経の御力たのもし。阿闍世王は法華経を持て四十年の命をのべ、陳臣は十五年の命をのべたり。尼ごぜん又法華経の行者なり。御信心月のまさるがごとく、しを(潮)のみつがごとし。いかでか病も失、寿ものびざるべきと強盛にをぼしめし、身を持し、心に物をなげかざれ。
なげき出来時は、ゆき(壱岐)・つしまの事、だざひふの事、かまくらの人々の天の楽のごと(如)にありしが、当時つくしへむかへば、とどまる女こ、ゆくをとこ、はなるるときはかわ(皮)をはぐがごとく、かを(顔)とかをとをとりあわせ、目と目とをあわせてなげきしが、次第にはなれて、ゆいのはま・いなぶら・こしごへ・さかわ・はこねさか(箱根坂)。一日二日すぐるほどに、あゆみあゆみとをざかるあゆみも、かわも山もへだて、雲もへだつれば、うちそうものはなみだなり、ともなうものはなげきなり、いかにかなしかるらん。かくなげかんほどに、もうこのつわものせめきたらば、山か海もいけどりか、ふねの内か、かうらい(高麗)かにてうきめにあはん。
これひとへに失もなくて日本国の一切衆生の父母たる法華経の行者日蓮を、ゆへもなく、或はのり、或は打、或はこうぢ(街路)をわたし、ものにくるいしが、十羅刹のせめをかほりてなれる事なり。又々これより百千万億倍たへがたき事どもいで来るべし。かゝる不思議を目の前に御らんあるぞかし。
我等は仏に疑なしとをぼせば、なにのなげきかあるべき。きさきになりてもなにかせん、天に生てもようしなし。龍女があとをつぎ、摩訶波舎波提比丘尼のれち(列)につらなるべし。あらうれしあらうれし。南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経と唱させ給。恐々謹言。  三月二十七日   日蓮  [花押]  尼ごぜんへ