可延定業御書
書下し
可延定業御書
[1]それ病に二あり。一には軽病、二には重病。重病すら善医にあふて急に対治すれば命なお存す。何かにいわんや軽病をや。
[2]業に二あり。一には定業、二には不定業。定業すらよくよく懺悔すれば必ず消滅す。何かにいわんや不定業をや。
[3]法華経第七に云はく「〔この経はすなわちこれ閻浮提の人の病の良薬なり〕」等云云。この経文は法華経の文なり。一代の聖教は皆如来の金言、無量劫より以来不妄語の言なり。なかんづくこの法華経は仏の「〔正直に方便を捨て〕」と申して真実の中の真実なり。多宝証明を加へ、諸仏舌相を添へ給ふ。いかでかむなしかるべき。
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[5]その上最第一の秘事はんべり。この経文は後五百歳二千五百余年の時、女人の病あらんととかれて候ふ文なり。
[6]阿闍世王は御年五十の二月十五日、大悪瘡身に出来せり。大医耆婆が力も及ばず、三月七日必ず死して無間大城に堕つべかりき。五十余年が間の大楽一時に滅して、一生の大苦三七日にあつまれり。定業限りありしかども仏、法華経をかさねて演説して、涅槃経となづけて大王にあたえ給ひしかば、身の病たちまちに平愈し、心の重罪も一時に露と消えにき。仏滅後一千五百余年、陳臣と申す人ありき。命知命にありと申して五十年に定まりて候ひしが、天台大師にあひて十五年の命を宣べて、六十五までをはしき。その上、不軽菩薩は〔更に寿命を増す〕ととかれて、法華経を行じて定業をのべ給ひき。
[7]彼等は皆男子なり。女人にはあらざれども、法華経を行じて寿をのぶ。また陳臣は後五百歳にもあたらず。冬の稲米・夏の菊花のごとし。当時の女人の法華経を行じて定業を転ずることは秋の稲米・冬の菊花、誰かをどろくべき。されば日蓮悲母をいのりて候ひしかば、現身に病をいやすのみならず、四箇年の寿命をのべたり。
[8]今女人の御身として病を身にうけさせ給ふ。心みに法華経の信心を立てて御らむあるべし。しかも善医あり。中務三郎左衛門尉殿は法華経の行者なり。
[9]命と申す物は一身第一の珍宝なり。一日なりともこれをのぶるならば千万両の金にもすぎたり。法華経の一代の聖教に超過していみじきと申すは寿量品のゆへぞかし。閻浮第一の太子なれども短命なれば草よりもかろし。日輪のごとくなる智者なれども夭死あれば生犬に劣る。早く心ざしの財をかさねて、いそぎいそぎ御対治あるべし。
[10]これよりも申すべけれども、人は申すによて吉事もあり、また我志のうすきかとをもう者もあり。人の心しりがたき上、先々に少々かかる事候ふ。この人は人の申せばすこそ(少)心へずげに思ふ人なり。なかなか申すはあしかりぬべし。ただなかうど(中人)もなく、ひらなさけに、また心もなくうちたのませ給へ。
[11]去年の十月これに来たりて候ひしが、御所労の事をよくよくなげき申せしなり。「当時大事のなければをどろかせ給はぬにや、明年正月二月のころをひは必ずをこるべし」と申せしかば、これにもなげき入つて候ふ。「富木殿もこの尼ごぜんをこそ杖柱とも恃みたるに」なんど申して候ひしなり。随分にわび候ひしぞ。きわめてまけじたまし(不負魂)の人にて、我かたの事をば大事と申す人なり。かへすがへす身の財をだにをしませ給わばこの病治がたるべし。一日の命は三千界の財にもすぎて候ふなり。まづ御志をみみへさせ給ふべし。法華経の第七の巻に、「三千大千世界の財を供養するよりも、手の一指を焼きて仏法華経に供養せよ」ととかれて候ふはこれなり。
[12]命は三千にもすぎて候ふ。しかも齢もいまだたけさせ給はず、しかも法華経にあわせ給ひぬ。一日もいきてをはせば功徳つもるべし。あらをしの命や、あらをしの命や。御姓名並びに御年を我とかかせ給ひて、わざとつかわせ。大日月天に申しあぐべし。
[13]いよどの(伊予殿)もあながちになげき候へば日月天の自我偈をあて候はんずるなり。恐恐謹言。
[14]<人>日 蓮<花押>花押花押>人>
[15]<先>尼御前御返事先>
現代語訳
可延定業御書
文永一二年(一二七五)二月七日、五四歳、於身延、和文、定八六一—八六四頁。
[1]そもそも、病気には二類あります。その一つは軽病、他の一つは重病です。重病でさえも、名医を得て早く治療すれば回復して命を長らえることができます。まして軽病が治しやすいことはいうまでもありません。
[2]また、業——われわれの知らない過去の営みを現在に影響させ、現在の営みを未来に影響させるところの永遠不滅のはたらき——にも二類があります。その一つは定業であり、他の一つは不定業です。報いを受けることが過去の世から決定している定業でさえ、よくよく懺悔すれば必ず消滅します。まして不定業が消滅しないはずがありません。
[3]法華経第七巻の薬王菩薩本事品に「この経は、全世界の人々の病気の良薬である」と説かれています。この経文は、他の経典のものではなくて、法華経のものであることが肝心です。なぜなら、釈尊一代の説法は、みな如来の真実のお言葉で、永遠の過去からこの方、寸分の誤りもないお説なのですが、それらの中でもとくにこの法華経は、釈尊ご自身が「正直に説き、方便の説を捨てる」と申されている通りの、真実中の真実の教えなのだからです。だからこそ多宝如来が「真実の教えである」と証言なさり、十方の世界から来集した諸仏が舌を梵天まで届かせるという所作で法華経を称賛なさったのです。そのように、すべての仏たちによって正しさが証明されている法華経ですから、どうして虚妄であるはずがありましょうか。
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[5]その上、法華経の薬王菩薩本事品には、非常に大切な密事が記されています。それは釈尊が亡くなられてから第五番目の五百年、つまり二千五百余年を経た時、女人が病気にかかるであろうと予言されている経文です。この経文と尼御前のご病気とが符合するわけですが、そのことはさておき、法華経の良薬で病気が治った例を挙げてみましょう。
[6]インドの阿闍世王は、御年五十歳の二月十五日にたいへん悪性のはれものが身体にできました。名医の耆婆も治すことができません。三月七日には頻死の状態になって、無間地獄に落ちるばかりになりました。五十余年にわたる栄華の楽しみは一時に消滅して、一生の間の苦しみが発病以来の二十一日間に集中する思いでした。こうして定業が限界に達したのですが、釈尊が法華経を重ねて説いて、それを涅槃経と名づけて大王にお与えになったところ、身体の病気はただちに治り、心の重罪も一時に露のように消えました。また、釈尊の入滅後千五百余年を経たころ、中国に陳臣という人がいました。その人の寿命は、論語の為政篇に「五十にして天命を知る」といわれる通りの五十歳に決まっていたのですが、天台大師に会って法華経を習い、そのおかげで十五年の命を延ばして六十五歳まで健在でした。それからまた常不経菩薩は法華経を修行して、「さらに寿命を増す」と説かれている経文通りに定業をお延ばしになりました。
[7]これらの人々は、みな男性です。法華経に予言されているような女性ではないのに法華経を修行して寿命を延ばしました。特に陳臣の如きは釈尊滅後千五百年の人ですから、時代的にも法華経の予言にはずれています。冬の稲米や夏の菊花のようなもので、時節に合っていません。それに反して、現代は釈尊滅後二千五百余年に当たっているのですから、女性が法華経の修行により、定業を逆転させて寿命を延ばすのは、秋の稲米や冬の菊花のように時節が符合していることで、それが成功したからといって誰も驚くにはあたりません。そういうわけで、私自身の場合も、母の病気を法華経で祈りましたところ、現に病気が治ったばかりでなく、四か年間の寿命を延ばしました。
[8]今、あなたは、女性であって身に病気をお受けになりました。法華経の予言に当たるお立場なのですから、試みに法華経の信心をしっかりと持って修行してごらんなさい。ただでさえ良い効果があがるに違いないのですが、しかもそのうえ、身近に名医がいます。中務三郎左衛門殿がそれです。この人は法華経の行者ですから一段と安心です。
[9]寿命というものは、人にとって第一の宝です。一日でもこれを延ばすならば千万両の金にも過ぎる価値のあるものです。法華経がすべての経典の中で断然すぐれているのも、釈尊の寿命が久遠であることを説いた寿量品があるからなのですよ。世界第一の栄光を担う皇太子であっても、短命では草よりも無意味です。また太陽のように輝く智者であっても、若死にをしたのでは犬ほどの価値もありません。中務三郎左衛門尉殿に対して、早く誠意を尽くしてお願いをし、急いで治療なさらなければいけません。
[10]中務三郎左衛門殿には、私からもお頼みしようとは思いますが、人はいろいろで、仲介者を立てて交渉をした方がよいこともあるし、そのようにすると依頼する本人の誠意が薄いと思う者もいます。中務三郎殿の場合は、仲介者が間に入ると、少し面白くなく思う人です。だから私から頼むのはかえって具合が悪いでしょう。仲介者を立てずに、真心から、ただ一心にお願いなさるのが良いと思います。
[11]中務三郎殿は去年の十月にここにおいでになりましたが、その折、あなたのご病気のことをとても心配だといっていました。そして、「現在は症状が軽いからあまりあわてていらっしゃらないようですが、明年の正月から二月ごろには必ず悪化するでしょう」といいましたので、私の方も不安がつのって参りましたよ。中務三郎殿は、「富木殿も尼御前を杖とも柱とも思って頼りとしていらっしゃるのに、お気の毒なことだ」といっていました。とても歎かわしげでいらっしゃいましたよ。だいたいあの方は、非常に負けじ魂の強い人で、同志たちのことを大切にする人です。そのことを心得たうえで、よくお願いしてごらんなさい。くれぐれも誠意のある行動をしなくてはいけません。それを怠ったらこの病気は治りにくくなるでしょう。人の一日の寿命は、三千世界の財宝にもまさって貴いものなのです。まず誠意を尽くしてそれを認めてもらうようになさらなければいけません。法華経第七巻の薬王菩薩本事品に「三千大千世界の財宝をもって供養するよりも、手の指一本を焼いて仏と法華経とに供養せよ。その方が功徳がすぐれている」と説かれているのはそのことをいっているのであって、何よりも誠意を示すことが大切です。
[12]命は三千大千世界にも増して尊いものです。それに、あなたは年齢もそれほどお高くはありません。しかも、法華経にめぐりあって信仰をなさっていらっしゃいます。ですから、一日でも長生きなされば、それだけ功徳がつもるに違いない方です。このように考えると、あなたの命はとても尊いものであり、無駄にしてはいけないものなのですよ。ご姓名とご年齢をご自身でお書きになり、とくに使者を立ててここまで届けさせてください。大日月天の御前で病気平癒のお祈りをいたしますから。
[13]伊予殿も、あなたのご病気を非常に心配していらっしゃるので、日月天に自我偈を読誦して平癒祈願をなさっているでしょう。恐恐謹言。
[14]<人>日 蓮 <花押>花押花押>人>
[15]<先>尼御前御返事先>