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妙心尼御前御返事

全集 第7巻 2段 定本: #20191(定本の該当ページへ)

書下し

妙心尼御前御返事みようしんあまごぜんごへんじ


[1]わしかき(消柿)二籠ふたかご、なすび(茄子)一こ、給ひ候ひ了んぬ。
[2]入道殿の御所労の事。
[3]唐土に黄帝*こうていへんじやくと申せしくすし(医師)あり、天竺てんじく持水*じすい耆婆*ぎばと申せしくすしあり。これらはその世のたから、末代のくすしの師なり。仏と申せし人はこれにはにるべくもなきいみじきくすしなり。この仏不死の薬をとかせ給へり。今の妙法蓮華経の五字これなり。しかもこの五字をば「〔閻浮提えんぶだい人の病の良薬〕」とこそとかれて候へ。入道殿は浮提の内日本国の人なり。しかも身に病をうけられて候ふ。「病の良薬」の経文顕然なり。
[4]そのうえ蓮華経は第一の薬なり。るり(波瑠璃)王と申せし悪王、仏のしたしき女人五百余人を殺して候ひしに、仏、阿難*あなん雪山せつせんにつかはして青蓮華しようれんげをとりよせて身にふれさせ給ひしかば、よみがへりて七日ありて利天とうりてんに生まれにき。蓮華と申す花はかかるいみじき徳ある花にて候へば、仏、妙法にたとへ給へり。
[5]また人の死ぬる事はやまひにはよらず。当時のゆき(壱岐)・つきま(対馬)のものどもは病なけれども、みなみなむこ(蒙古)びとに一時にうちころされぬ。病あれば死ぬべしといふ事不定なり。
[6]またこのやまひは仏の御はからひか。そのゆへは浄名経*じようみようきよう涅槃経*ねはんぎようには病ある人仏になるべきよしとかれて候ふ。病によりて道心はをこり候ふか。
[7]また一切の病の中には五逆罪*ごぎやくざいと、一闡提*いつせんだいと、謗法ほうぼうをこそおもき病とは仏はいたませ給へ。今の日本国の人は一人もなく極大重病あり、いわゆる大謗法だいほうぼうの重病なり。今の禅宗・念仏宗・律宗・真言師なり。これらはあまりに病おもきゆへに、我身にもをぼへず人もしらぬ病なり。この病のこうずるゆへに、四海のつわもの(兵)ただいま来たりなば、王臣万民みなしづみなん。これをいきてみ候はんまなこ(眼)こそあさましく候へ。
[8]入道殿は今生にはいたく法華経を御信用ありとは見え候はねども、過去の宿習のゆへかのもよをしによりて、このなが病にしづみ、日々夜々に道心ひまなし。今生につくりをかせ給ひし小罪はすでにきへ候ひぬらん。謗法の大悪はまた法華経に帰しぬるゆへにきへさせ給ふべし。ただいまに霊山*りようぜんにまいらせ給ひなば、日いでて十方をみるがごとくうれしく、とくし(死)にぬるものかなと、うちよろこび給ひ候はんずらん。中有*ちゆううの道にいかなる事もいできたり候はば、「日蓮がでし(弟子)なり」となのらせ給へ。わずかの日本国なれども、さがみ(相模)殿のうちのものと申すをば、さうなくおそるる事候ふ。日蓮は日本第一のふたう(不当)の法師。ただし法華経を信じ候ふ事は、一閻浮提*いちえんぶだい第一の聖人なり。その名は十方の浄土にきこえぬ。定めて天地もしりぬらん。「日蓮が弟子」となのらせ給はば、いかなる悪鬼などなりとも、よもしらぬよしは申さじとおぼすべし。
[9]さては度々の御心ざし申すばかりなし。恐恐謹言。
[10]さる(猿)は木をたのむ。魚は水をたのむ。女人はおとこをたのむ。わかれのをしきゆへにかみをそり、そでをすみにそめぬ。いかでか十方の仏もあはれませ給はざるべき、法華経もすてさせ給ふべきとたのませ給へ、たのませ給へ。
[11]<日>八月十六日
[12]<人>日 蓮<花押>花押
[13]<先>妙心尼御前御返事
現代語訳

妙心尼御前御返事


建治元年(一二七五)あるいは弘安元年(一二七八)の八月一六日、五四歳あるいは五七歳、於身延、和文、定一一〇二—一一〇四頁。

[1]泡消柿あわしかきかご茄子なすび一籠をお送りいただきました。御礼申し上げます。
[2]ご夫君がご病気とのこと、ご心配ですね。
[3]中国に黄帝こうていへんじやくという医師がいました。またインドには持水じすい耆婆ぎばという医師がいました。この人々は、当時の世の宝であり、後の時代の医師たちの師表と仰がれる名医です。ところが、仏は、彼らとは比べものにならないほどすぐれた大名医なのです。なぜなら仏は、不老不死の良薬を説き遺されたからです。その良薬というのは、私たちの目の前にある妙法蓮華経の五字のことです。そして仏は、ご自身で、この五字は「閻浮提の人の病気に効く良薬である」と明言なさっていらっしゃるのです。ご夫君は、閻浮提の一角を占める日本国の人です。しかも病気にかかっていらっしゃる。したがって、仏の「閻浮提の人の病気に効く良薬」ということばがぴったりと当てはまることになります。
[4]そのうえ、蓮華経というお経の名になっている蓮華は、良薬中の第一の良薬です。昔、インドの波瑠璃王はるりおうという悪王は、仏の身近な女性たち五百人あまりを殺しましたが、仏が弟子の阿難あなん雪山せつせんに遣わして青蓮華しようれんげをとりよせ、女性たちの身に触れさせなさったところ、彼女たちは蘇生し、七日後には利天とうりてんに往生したのでした。蓮華という花は、このようにすばらしい功徳のある花ですから、仏はそれを妙法にたとえられたのです。
[5]また、人が死ぬのは病気に限ったことではありません。最近の壱岐いき対馬つしまの人々は、病気はなかったのに、みんなみんな蒙古人のためにたちまちに打ち殺されてしまいました。このように、病気があるからそれで死ぬということでもありません。
[6]ところで、ご夫君のこのたびのご病気は、仏のおはからいによるものかも知れませんよ。なぜなら、浄名経や涅槃経には、病気にかかった人こそが仏になれると説かれているからです。病気で悩むことによって仏道心が芽生めばえるというわけでしょう。
[7]また、一切の病気の中で、五逆罪と、仏法を信じないことと、正法を謗ることを三大重病として仏は哀れんでいらっしゃいます。今の日本国の人々は一人の例外もなく極大重病にかかっています。その病気とは、いわゆる大謗法という重病です。今の禅宗・念仏宗・律宗・真言宗の人々がその患者です。彼らは、あまりに病気が重いので、重病であることを自覚することができませんし、他人も気づかないでいます。この大謗法の病気がこうじているので、もし今、外敵が攻めてきたならば、日本国は、王も民もすべての人々がみな滅ぼされてしまうでしょう。そういう惨状さんじようを、生きていて目前にするのは、まことにつらいことです。
[8]ご夫君は、以前はあまり熱心に法華経をご信仰なさっているとは見えませんでしたが、前生ぜんしようで積んだ善行のおかげででもあるのでしょうか、このたびの長い病気を機縁として日々夜々に法華経信仰に励む身となられました。もう、この世で犯した小さな罪は消えてしまったことでしょう。いやそればかりではなく、謗法の大悪といえども法華経に帰依したことでお消しになったに違いありません。もし今、この世を辞して霊山浄土においでになったとしても、太陽が昇って十方が明るく見渡せるように嬉しく、早く死んでよかったなと、お喜びになることでしょう。万一、浄土へ行く途中で支障が起こるようなことがありましたら、「日蓮の弟子である」とお名乗りください。小さな日本国の中でも、執権北条時宗殿の身内のものに対しては意味もなく畏敬することがあります。まして私は、世俗的には日本一の反逆法師ですが、法華経信仰の上では閻浮提第一の聖人しようにんです。そういう日蓮の名は十方世界の浄土に響きわたっているはずです。きっと天も地も知っているに違いありません。だから、「自分は日蓮の弟子である」とお名乗りになるならば、どんなに恐ろしい悪鬼どもでも、まさか、「日蓮などという者は聞いたことがない」などということはないでしょう。ご安心なさってください。
[9]それにしても、たびたびご供養の品をお届けくださる御志を、とてもありがたく思っています。恐恐謹言。
[10]追伸 猿は木を頼りとします。魚は水を頼りとします。そのように、女性は夫を頼りとするものです。あなたは、ご夫君との永の別れを惜しんで、髪を切り、墨染の衣を着る尼僧となりましたね。そのお気持ちを、どうして十方の仏がお哀れみくださらないはずがありましょうか。また法華経も、決して自分を見捨てなさることはないと信じて、ひたすら信行増進に励まれますように。
[11]<日>八月十六日
[12]<人>日 蓮 <花押>花押
[13]<先>妙心尼御前御返事