持妙尼御前御返事
書下し
持妙尼御前御返事
[1]御そう(僧)ぜんれう(膳料)送り給ひ了んぬ。
[2]すでに故入道殿のかくるる日にておはしけるか。とかうまぎれ候ひけるほどに、うちわすれて候ひけるなり。よもそれにはわすれ給はじ。
[3]蘇武と申せしつわものは、漢王の御使に胡国と申す国に入りて十九年、め(妻)もおとこ(夫)をはなれ、おとこもわするる事なし。あまりのこひ(恋)しさに、おとこの衣を秋ごとにきぬたのうへにてうちけるが、おもひやとをりてゆきにけん、おとこのみみにきこへけり。ちんし(陳子)といいしものは、めおとこ(夫婦)はなれけるに、かがみ(鏡)をわりてひとつづつとりにけり。わするる時は鳥いでて告げけり。さうし(相思)といゐしものは、おとこをこひてはかにいたりて木となりぬ。相思樹と申すはこの木なり。
[4]大唐へわたるに、しが(志賀)の明神と申す神をはす。おとこのもろこしへゆきしをこひて神となれり。しま(島)のすがたおうな(女)ににたり。まつらさよひめ(松浦佐与姫)といふこれなり。
[5]いにしへよりいまにいたるまで、をやこのわかれ、主従のわかれ、いづれかつらからざる。されどもおとこをんなのわかれほどたとへなかりけるはなし。過去遠々より女の身となりしが、このおとこ娑婆最後のぜんちしき(善知識)なりけり。
[6]ちりしはなをちしこのみもさきむすぶなどかは人の返へらざるらむ。こぞもうくことしもつらき月日かなおもひはいつもはれぬものゆへ。法華経の題目をとなへまいらせてまいらせ。
[7]<日>十一月二日日>
[8]<人>日 蓮<花押>花押花押>人>
[9]<先>持妙尼御前御返事先>
現代語訳
持妙尼御前御返事
弘安二年(一二七九)一一月二日、五八歳、於身延、和文、定一七〇六—一七〇七頁。
[1]御僧膳料をお送りいただきました。お礼申し上げます。
[2]今日はもう故ご夫君のご命日がめぐってきたのでしたか。私は多忙にまぎれて失念しておりました。しかし、あなたとしてはお忘れになれないことですね。申しわけなく存じます。
[3]昔、中国の蘇武という勇士は、漢王の使者として胡国という国に行ったまま捕虜となって十九年間も帰れませんでしたが、妻も夫を想いつづけ、夫も妻を忘れることなく過ごしました。妻は、あまりの恋しさに、秋ともなれば夫の着物を砧の台にのせて打っていましたが、その切なる思いが通っていったのでしょうか。夫の耳に音が聞こえたということです。また陳子という人は、夫婦が別れる時に鏡を破って一片ずつを分けて持っていましたが、相手のことを忘れると鏡が鳥になって警告したそうです。それから相思という人は、権力者に妻を奪われて自殺しましたが、妻も夫の墓のもとで思い死にをし、二本のからまり合った木となったといいます。相思樹というのはこの木です。
[4]日本では、中国へ渡る九州の地に志賀の明神という神がいらっしゃいます。この神は、夫が中国へ旅立っていったのを恋い慕ってその地から離れなかった女性が神となったものです。だから島の姿が女性に似ています。松浦佐夜姫というのがその女性です。
[5]昔から今にいたるまで、親子の別れといい、主従の別れといい、どちらの方が辛いということなく、いずれも苦痛なものなのですが、しかし、それらにもまして、たとえようもなく苦しいのは夫婦の別れです。今日、ご夫君の命日をお迎えになったあなたのお悲しみは限りないものと思われます。しかし、あなたは過去の遠い昔から何回となく女性としてお生まれになったことでしょうが、このご夫君は、娑婆世界で、もうこれ以上に尊い境地はないという法華経信仰を手解きした、最終的な仏法指導者だったのですね。
[6]世間の和歌にも「自然界では、散った花も、落ちた果実も、季節がめぐってくれば、また咲き、また結ぶのに、逝った人は、どうして二度と帰ってくることができないのであろうか」「亡き人を偲ぶ思いの晴れ間がないので、去年も物憂く、今年も辛い日月を送ることである」と詠まれています。法華経の題目をお唱えになってご供養なさいますように。
[7]<日>十一月二日日>
[8]<人>日 蓮 <花押>花押花押>人>
[9]<先>持妙尼御前御返事先>